- 2026/04/05
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ホームレス問題を中心に社会問題をとりあげています
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釜ヶ崎の仲間のみなさん
43回目になりました釜ヶ崎の夏祭り、43年前に30歳で、これから働き盛りだったという人が、今73歳ということで、これはなかなか、たいへんなことですね。
人生50年というふうに言われた時代もありました。50年では、こどもの時期もありますので、なかなか歴史の大きな動きというものを知ることは難しかった。途中で死にますのでね。今は運が良くて、アルコールでからだを傷つけたりしていなければ、釜ヶ崎でもかなりの方が、60歳を越えて生きていきます。それでも釜ヶ崎の平均寿命は他地域よりもずっと下回っているのですが。
43年前といえば、1972年で、ちょうど大阪で万国博覧会があったあとです。農村や炭鉱の過剰な人口、つまり仕事がないということを、都市のインフラ整備に労働者として集めることで、解決しようとした時代でした。
今万博公園に行きますと、万博のパビリオンや遊具は綺麗に取り払われて、「芸術は爆発だ」の岡本太郎がむりやり作った太陽の塔しか残っていません。あの塔は80年代90年代「大阪の恥だ」「とりこわせ」ということで、ずいぶんバッシングを受けたそうですが、今は名物といいますか、文化遺産のような扱いを受けています。太陽の塔と同じですが、この釜ヶ崎夏祭りも、機動隊にどつかれたり弾圧されたり、左翼のはねあがりみたいな扱いを受けながら、いつか無くなるだろうと想定されながら、ずっと続いてきました。これは掛け値なしにすごいことですね。
どうして続いたか、それはこの釜ヶ崎で、釜ヶ崎の仲間たちと共にいっしょに作ってきたからです。釜ヶ崎で実は一番多数を占めている日雇の仲間、そして現場の仕事を続けられなくなって、野宿せざるをえなくなった仲間、時に石を投げたり、行政の前で座り込みをしたりするけれど、たいていは黙々と働いてきて、自分の人生の苦しみを静かに引き受けている無縁の仲間と共にあり、共に作って来たからだと思います。
そして、もうひとつ続いた理由の大きなものは、祭りにかける仲間の思いを地域に伝え、いっしょにこのまちをつくりましょうと呼びかけてきたこと、そして、釜ヶ崎の外から来る人たちを排除せず積極的に受け入れてきたことでした。
太陽の塔は芸術家1人がこさえたものですが、釜ヶ崎夏祭りは、みなさんの手で担われて同じように無比の輝きを放っていますので、その価値は100倍ぐらいあると思います。
第1回のスローガンといいますか、テーマは「まつろわぬもの、みずからまつらむ」という文語体のかっこいいものでした。「まつろわぬ」にはいろいろな意味が込められていたでしょう。おかみのいうことにただ流されることはしないという意味もありましたし、地縁、社縁、家族のきずなから離れて、単身者として生きていく、いろいろな事情や苦しさがある中で自分を認めていく、そのような意味が込められていたと思います。そして、「みずからまつらむ」とは、そうした無縁の単身の仲間たちがあつまって、まつりをつくろう、運動をし、独自のつながりをつくり、このまちを作っていこうということだったと思います。
今、釜ヶ崎のまちは本当に高齢化が進んできています。生活保護を受けるべきか、受けないでいるか、の選択は非常に大きな問題です。上からホームレス対策を考えている人たちは、「生活保護をみんな受けたらホームレスの問題は解決するやろ」という風に考えます。実状を知らない人たちは、「生活保護を受けるのはいい身分だ」「生活保護は怠けている」と外から批判します。
ある特掃の労働者は、生活保護を受けるということを「身ぐるみはがされる」と表現していました。扶養照会ということで、親族に連絡が行ってしまう、ごく親密な友人同士でもあまり言わないことをケースワーカーとは話さないといけない、など単身の働き人としての気持ちと折り合いをつけることは、とても難しいことです。
そして、親族と連絡が通じたからといって、じゃあ最後に骨を引き取ってくれるのかというとそうともかぎりません。やっぱり無縁の世界に押し戻されてしまう。それは2重に悲しいことだと思います。
生活保護になっても、アルミ缶集めに行く、特掃に行くなど、日中することがなくなって、ハリを失ってしまい、かえって命を短くしてしまうということもあります。
それでは、ホームレスでいいかというとそんなことはありません。ホームレス状態でも苦しい、生活保護になっても苦しい、出口のない苦しさがこのまちを覆っているということがあります。
考えてみますと、そうした出口のない苦しさは、国が作った制度の融通のなさが原因となって生じてきているものです。ホームレス状態か、生活保護かという二者択一しかないということが問題です。
来年の春から、生活困窮者自立支援法という法律が施行されます。この法律は生活保護一歩手前の生活が苦しい人を対象にしていて、今お話しした二者択一よりもはるか高い、手をのばしても手の届かないところで、実施される施策です。
そこで、私たちが言うのは、93年から反失連が言っていた「仕事と生活の保障制度をつくる」ということです。たとえば生活困窮者自立支援法には住宅確保給付金という制度が作られますが、これには「2年以内の離職票を持ってきて」とかいろいろな縛りが多い。そこを外してもらう。今巡回相談という仕組みがありますけど、路上や公園やシェルターでがんばっている仲間であれば、巡回相談員が支援必要と認めて、住宅に入れるようにしてほしい。また、年金があるとか、アルミ缶をどのくらい集められているとかその人の状況に柔軟に対応する形で生活費を稼げる仕事を出してほしい、ということを言っています。
自立支援センターに入る場合は、親族に照会がいくこともありませんが、自立支援センターだけでも足らない部分があります。何回も自立支援センターを利用している40代、50代の仲間もおりますし、65歳前後から自立支援センターに行くのかということもあるわけです。
もし、そんなことは生活困窮者自立支援法では、できないということなら、今あるホームレスの自立の支援等に関する特別措置法の施策を拡充して、自立支援センター以外の社会的就労の仕組みやアパートに入れる仕組みを作っていくべきだと言っています。
高齢化が進んでいるから、あと5年か10年釜ヶ崎への対策はこのままにしておこうと、もし施策を作ることができる人、政治に携わる力のある人が考えるなら、それは下の下の策だろうと思います。また、昔から言われている「野宿-野垂れ死に攻撃」の最終形態とも言えると思います。
それから、50代40代の比較的若い世代に対しては、生活給付きの訓練を日雇労働者が受けやすい形で実施していく必要があると思います。労働福祉センターやハローワークではいろいろな訓練があるけれど、飯場から出てきたり、シェルター暮らしだったりでは、なかなか技術向上に向かって進めません。片や建設業界では震災の復興や東京オリンピックのために技能者が不足しているといいます。このあたりは、ハローワークのマッチングということだけでなく、国がしっかりと労働政策で踏み込んでこなければならないと思います。
そういう国が作る制度上の課題がたくさんある中で、西成特区構想が取り組まれています。ぜひ、西成特区構想に係ることができる方、区長を始めとして、行政の方々は、大阪市内の発想でできることをするのではなく、西成から釜ヶ崎から見えるこの国の問題をがんがんと国に訴えていただきたいと思います。
釜ヶ崎で、この地域で、黙々と静かに自分の境遇を引き受けている仲間たちを大切にしなければ、特区構想は単なる開発のための地ならしで終わることになるでしょう。
「あいりん地域を官庁街に」という話もあるようです。どんな官庁がくるのか、知りませんが、今まではバスを使ったりテントを建てたりして、座り込みをしていましたので、今度は近くなるなぁなんて思ったりします。どちらにしても、どんな世の中になろうとも、団結して釜の仲間の声を国へ、社会へ、世界へ伝える行動をしていきましょう。
先ほど無縁ということを言いましたが、無縁ということは一期一会ということと同じです。今日の出会いを大事に、今この祭りで出会い、つながったことを大切に。いっしょに楽しみましょう。
ありがとうございました。