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救急対応の悩み

一月ぐらい前の日曜の朝、「何か仕事ありませんか」と相談に来られた方がいました。

仕事探しについての相談をはじめていくなかで、健康状態も訊いていきます。「特に大きな病気をしたことはない、入院したことない」体の調子で悪い部分はないかを訊くと「特に何もないね…」と。

「そういえば、めまいがするね」「ふらふらする」という話が少しして出てきました。

さては、高血圧かしら?と血圧について訊くと「別に高いことはないよ」と。

2~3日食べてないということなので、栄養失調かしら??

そういえば、息切れが、なかなかおさまらない。

何かおなかに入れば落ち着くかな?と思いたまたま余っていた経腸栄養剤を出しました。すると…

「先のことが心配でこのところ食事も喉を通らないんです」

うむむ、メンタル面か…と「考え事をしたりする方?」「人と合うと緊張する?」とか訊いていくと、「それはとくにないですね」と。

次は何を訊いたらいいか、だんだん困ってきましたよ…!

苦し紛れに、一応血圧測定してみましょうと、測定機で血圧を測ってもらいます。

高血圧でしたが、下が高い、そして座ってだいぶ経つのに脈が速い。うーむ何かある…。

下が高いと狭心症とかの可能性もありますよと、話すと、「そういえば、胸が痛いんです」と。

ここまでで、20分ぐらい経過してしまいました!

吐き気なんかしますか?と訊くと「吐き気がします」と。

「実は昨日救急車を呼んでもらったんですが、病院には連れていってもらえず降ろされたんですよ」

そうなんだ…。

それを先に言ってほしいところですが、言えないところに野宿状態が続いてしまう原因が隠れているわけですね。

搬送してくれないということは、病院でトラブルの多い方なのか?でもそんなタイプには見えないなぁ。見かけによらないということかなぁ…。

過去の入院や、施設入所、生活保護について口が重たいのも、体のしんどさから来ているのか、それとも言いづらいことがあるからでしょうか?

119番して救急車を呼ぶことになりました。救急隊員に訊ねると、搬送できなかったのはわたしが気づかなかった別の大きな病気に対応しないといけない方だったため、通常の救急ではむずかしかったということでした。

行政諸機関のデータベースや病院の記録でも覗ければ、もっと迅速に対応できるでしょうが、個人情報保護法の関係でそんな融通は今後もないでしょうし、電話で問い合わせるにも日曜日はお休み。

からだの状態が悪ければ聞き取りはしづらく、そこにホームレス状態ゆえに秘密にしたいことまたホームレス状態でなくとも見ず知らずの相談員には話したくないこととがあるのが加わって、判断がしづらくなっていきます。

相談員がいわゆる「直観」を働かせられるよう、よく学んでおくことは重要です(←自分に言っています)。その補助として、相談機関の内部だけでも、記録をしっかりとって、すばやく情報にたどり着けるシステムを作っておくことが大切ではないかと思います。
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若年の住居喪失・不安定就労者への相談・支援の工夫

ちょっと前、ある研修で「若年の住居喪失・不安定就労者の相談の仕方」について話すように呼ばれることがありました。

主催者側はもう少しどんな方が相談に来られているのかという統計的なことや利用できる社会資源などを内容にと希望されていたようですが、私はぐーっと読み間違えて、お互い実際に出会っているときの相談のコツのような話にしてしまいました。

コツや工夫について考えるのはほんとに楽しいものですね。考えればいろいろ出てくるでしょうが、その時の内容をUPいたします。


【相談を始める】
出会えたことを感謝する
 ホームレス状態から相談に来られている場合はなかなか言いにくいですが、とりあえずは住むところがあるなど、若干でもゆとりがある方の場合は、「ようこそいらっしゃいました」と労いから始めるようにしています。

 出会いによって何か新しいことが始まる。私たちは、そのことを知っていて出会いを求めてでかけていくでしょう。相談のはじまりは、基本それとなんら変るところはありません。
 
名刺を渡す
 出会えたことがありがたいと感じるようになってから、相談に初めて来られた際、すぐに名刺を渡すようになりました。

 それはいろんな人がおられますが、名刺を渡したことで嫌がられたことはほとんどないと思います。むしろ「これからオレはどうなるんだろう」という緊張で張り詰めた表情が、ぱっと緩むことが多いと思います。

 ラポールの形成にこんな簡単な方法はないと思います。今はネームプレートを首からつるすのが流行りみたいですが、あれは、精神科医のメガネや髭みたいなもので、どちらかというと自分を守るためのものです。
 だから、区役所に行ったり、地域の社会資源に出かけたりする時に、私はネームプレートをつけます。いじめられないようにです。
 
 名刺に託して、まずは自分自身を差し出してしまうという形になるのでしょうね。また名刺交換というのは今の社会で、相互に自立した大人同士であるということの表現にもなっているので、「あなたのことをリスペクトしていますよ」という簡単なメッセージになるようです。
 
【初期の相談】
 
インテークという力技
 だいたい生活保護申請時にケースワーカーが訊かれるような項目に従って訊いていきます。わたしはこのところ聞き取り時間は短くなってきましたが、それでも2時間弱ぐらいはいろいろ訊ねているようです。相談に来られた方に力が残っているなぁと感じる場合は3時間ぐらいになってしまう時もあります。

 症状がある方の場合はいっぺんにすると相談に来られた方も訊く方も疲れてしまいますので、数日に分けて行なう場合もあります。

 CWさんよりも聞き取り時間が長いのは、CWさんより時間にゆとりがあることもありますが、調査の権限がないので、当面は聞き取りだけが根拠となること、その人が今に至ったことの理由を「ああ、知的障がいかな」「まじめな性格でいじめられたことがあり、うつの症状が出ちゃったからかな」「ギャンブルだなぁ」とか、さーっと理解することの一段下でどういう風な考えの組み立て(行動のパターン)になっているのかなぁということに接近しておきたいと思うからです。
 
 その方の人生をそんなふうに訊いていくと、あれ?ここの時期が抜けているなあとか、なぜこの部分の説明があいまいなのかなぁという、気づきが生じますが、これは、さらっともう一度訊いて進展がなければ、そのままにしておきます。たぶん全部わかればいいというものではなくて、全部わかったなぁなんて思っていると、まぁその時点で関係は崩れたか成立していないと思っておけばいいと思います。わからない部分があるから次もまた会いたいでしょう?

 細かく訊いているようで、ところどころ余白があるなぁという理解をしながらインテークをしていきます。その余白の部分が、伴走的支援の時に効いてくることになります。
 
 駆け出しの頃細か~く記した聞き取り票をCWさんに見てもらったところ、この聞き取りを書かれた方は、「ちょっとすごいです。病気かもしれません」みたいなことを言ってくれまして、あとになってみるとほんとにありがたかったです。
          
 ついこの間、こんなことがありました。就職活動のための自転車をよく借りにこられる方なんですが、借りられると中々返されないというようなことが続いて、職員が注意した。すると「わしも、仕事がみつからなくて、とても心がつらいんや。あんたみたいな若僧にわしは自分のことを全部隠さんと話したやろ。それをどう思ってるんや」みたいな話をされた。私は脇で聞いておりまして、「あたーっ、痛いところを突いてくるわー」と感じました。
 
 相談員というのは仕事でやってるものですから、ついつい「あなたが困っているから、こっちは訊いているんだよ」というスタンスになってします。それはそういう側面があるかもしれないが、相談に来ている方からしたらどうかということを考えてみる必要があります。
 
 たとえで言うと、外科手術の例がわかりやすいでしょうか。ちょっと調子の悪さが耐えられないレベルに入ったので、医者は好かないが、仕方なく病院に行く。すると医者は診察して、「あなたはたいへんな状態だ。今までどうして病院にかからなかったんだ、こりゃすぐ手術しないといかん。今から入院しなさい」とか言うわけです。そのとき、「たいしたことないのに、手術を勧めるなんてこの医者はきっとヤブだ!」なんてことで、出て行かれる方も一部いますが、たいていの方は、「医者がいうんならしょうがないのかなぁ」と、いやだけど、入院して手術を受けると思います。インテークというのは手術に匹敵するぐらいのことなんだという理解は有益なのではないかと思います。

 なぜなら、人生に起こった今までのことを訊いていく時には、「その時なんで会社をだまってやめちゃったの」とか「奥さんとどうして別れることになったの」とか、大事な部分を訊いてしまうわけです。人生を身体に例えるなら、見かけの部分(職歴とか表情や姿勢かな)だけではなく、肝臓や心臓といった中身に触れるわけです。そういった部分は普通これから仕事や生活を通じて何らかの形で一緒に生きていこうと判断した人でなければ、言わない部分ですよね。

 そこで一つ、私はインテークというのは、なるべくなら避けた方がよいという規範をこさえています。軽めのインテークで済むのなら、できるだけそうすべきです。たとえばHWでの相談や、予診の場合など。

 しかし、ホームレス状態から脱け出さないといけないという、緊急事態だから、細かいインテークをするわけです。いわば大手術をしているという感覚を持っていた方がいいと思います。

 相談の結果、生活保護を受けるなどしてかろうじて生活の安定にたどり着けた人は、時に「すべて相談員さんのおかげです。ほんとすみません」みたいなことを言う人も多いです。そんなことを言われると「いや~、私は何も。いっしょに努力した結果ですね」みたいなことを言います。

 たしかにそれはそうなんですが、相談に来られた方との関係では、それはどうもしっくりきません。命を助けてもらった医者に対するような感覚がどうしても残っている。
 
 逆に言うと下手なことをすると、(よくそういうことはあるわけですが)ものすごく恨まれるだろうことは想像にたえません。
 
 この1月に私は気胸でちょっと入院しまして、簡単な手術なので、5日ぐらいで退院してきました。医者には助けてもらったのですが、まだ痛みが残っていますので、「あの時もっとどうにかならんかったのかなぁ、はじめ研修医にさせてたけど、あれがあかんかったのとちゃうやろか?」など今でも時々うらんでおります。
 
 相談に来られた方は相談員を信頼してそんな大掛かりな作業を一緒にしてくれるわけですから、まずその意識を相談員がもっておくことは不可欠です。
だから、「この人の行き先を決定するにはこれとこれを取り揃えないといけないなぁ」という気持ちをもって、ぱっぱーとやってしまうと、二度と会うことがなくても、ものすごく恨まれているかもしれませんよ。

 若年の生活困窮者を伴走的に支援するということがあるので、初期支援が終わったあともずっと生活の向上や自立への道をいっしょに進んでいけるということがありますので、随分と助かることがあります。言わば急性期から予後をずっと診て、しまいには漢方を出すか出さないかで、「お話だけで今日はおしまい」みたないことができる環境にある医者がおもしろいように、よい仕事ができる素地があると思います。
 
ご近所づきあいに変わる支援(「自立」をどのように考えるか?)

 さて、はじめのインテークが終わると、今度は具体的な行動計画を立て、相談に来られた方と一緒に進んでいくことになります。

 お話をきかせてもらったことで、その方にはいろいろな問題があるなぁということがわかっている。内臓の疾患かもしれないし、依存症かもしれない、債務のことかもしれない。どんな問題であれ、「こうしようか」「こんな風にした方がいいかな」という話をするわけです。
 
 その時に注意しないといけないと思うのは、支援の終了というか自立の着地点をどう捉えておくかということです。
 
 若干遠慮のない話で申し訳ありませんが、相談員というのは、それが仕事だから相談しているわけですよね。だから、人それぞれではありますが、相談を受けられるキャパが存在しています。そこで、いろいろな支援をしても、なかなか効果が出てこず、法や社会的規範を逸脱したことをされる場合など、だんだん疲れてきて、「もういい加減にしてくれ」「給料分の仕事は終わったよ…」みたいなことを考えたりします。
 
 つまり、いつか手を離れて(自立して)別れの時が来ることを期待して仕事をしているわけです。そういうわけで、問題をわざわざ生み出してくるような方となかなか別れられないと、相談員の方のイライラ感や否定的な理解が伝わっていきますので、相談関係がうまくいかなくなっていきます。
 
 神田橋條治先生が『対話精神療法の初心者のために』という講演録の中で、米国式の対話精神療法で患者と治療者が出会い、治療契約を結び、治療が終了すると別れて無縁の関係になるというのが直輸入されすぎて、なかな か日本ではうまくいかないというようなことをおっしゃっておられます。

 むしろ今までも付き合いのあったご近所の人が、何かあって問題になり、診察に来られた。治療をして幸い回復したならば、治療関係は少ないかなくなるかもしれないけれど、近所づきあいは今までより深まる。おすそわけをもらったりとか。

 実際にはそうでない場合も多いわけですが、そんな心持でかかわるとうまくいきやすいというのです。

 私はホームレス状態の方、不安定就労の方の相談をする時にもあてはまるなぁと思っています。実際には知らない人だけれども、中学校の同級生で近所づきあいのある人ぐらいに考えておく。そうすると、まずはじめに相談員が維持している心理的な垣根を下げますので、丁寧な相談ができるようになります。そしてそれ以上に効果のあるのは、同級生ぐらいに考えておくとこちらのことも何かしら知っているわけですし、今後も付き合いは続く、となったら、ちょっと相談員という立場をかさにきて、きつくいいすぎたりするということに配慮がいきます。言い損ないがぐっと減るのではないでしょうか。

 ある人とだんだん相談関係が悪くなっていったとします。するとある日、その方が、あの時相談員さんはこういった、こういうふうにした、なのに全く役立たなかった、かえってストレスになったといった話しをどーっとしてくれることがあったりしますよね?それで相手が言っていることがすべて正しいというわけでは、もちろんないのですが、話したであろうトーンに、あらあら確かに心当たりがある。こういう相談関係の隔たりを若干避けることができそうです。
 
 ここは釜ヶ崎でして、入院施設のある病院とは少し違います。ご近所付き合いだという仮定ではなく、実際にご近所付き合いをしていくことが多い。伴走的支援を続けていくという意味でも結局はご近所になっていく。

 というわけで私はこのところほんとにご近所さんだと思って相談しています。相談員ってなんだろうということを考えるなら、町内の世話好きの人ぐらいの感覚。そう考えてみますと、町内ではギブばっかりの関係にはなかなかならない。ドブさらいのボランティアがあったら、みんな参加してもらいたい。一人でしたらたいへんでしょう。町内のお年寄りを集めてカラオケ大会をしようということになったら、確かあいつはオーディオファンだったから、マイクやスピーカーの設定を頼んでみようか、みたいな話になってきます。

 ですから、初期のインテークの時から「この人はどんな能力があるんだろう?」と期待をもって訊いていきます。仕事の能力も大事ですが、趣味や遊びの領域や生活の工夫なんかもなるべく聞くようにしています。

 そうして、野宿脱出時の忙しい時期が終わったあと、今度はこちらからお願いごとをします。漫画の得意な人にイラストを描いてもらったり、インドに行った経験のある方にイベント時のカレーをお願いしたり。それは相談員のできないことだから、自然と「ありがとう」という言葉がでますし、下手をすると「助けられるばかりで、ダメな自分」と思ってしまう傾向へすべり落ちていくところで、「自分の働きが認められた、お返しができた」という感覚をもっていただけることが多いようです。そうなりますと相談の場にどんよりと溜まってきます、重い空気がぱーっと晴れてきますね。
 
【伴走的支援の途中で】
 
支援者間の連携の功罪
 
 (生活保護受給者も含む)生活困窮状態にある方の支援に携わる人は、よく地域の社会資源との連携ということをよく言われます。私は連携には大賛成で、相談に来られている方に介護ヘルパーさんとか、障害者のための事業所なんかを紹介する時は、足のあるツボの絵なんか描いたりして、」足が多くあったほうが安定して中身をこぼしたりしないよねぇ」みたいな話をします。

 当事者の仕事や生活を支えようと支援者は相互に情報のやりとりを密にします。ただし、少しだけ、そこに落とし穴があります。

 その人にしてみたら、囲まれているような感じがするんですね。何をしてもお釈迦様の手の上というかんじになります。お釈迦様だったらそういう堅牢な能力を赦せるかもしれないが、相手がただの人だったらどうでしょうか?

 自分の周囲の人に相談すると、誰もが金太郎飴のように同じ対応をすると、「あれ?自分をはみごにして、すべて裏で話がつけれれている。もしやうまくだまされているのでは」みたいに感じる人もけっこういるということです。

 この情報共有と連携の落とし穴ということに、私はなかなか気付かなかったのですが、ある時ケース会議を頻繁に支援者の間で行っている方について、ケース会議の主催者からみると逸脱した行動を私がしてしまったことがあったときに、もちろんその主催者からは直接叱られたのですが、しばらくして、同じぐらい権威のある人と主催者さんがいっしょにおられる時に、「つらい立場もわかるのですが、そういう動きをする時にはかならず連絡をいれて、支援者みんなで決定しましょう」みたいなことを言われた時に、なんとも息苦しくいや~な気分になったのですが、その時はたと気付いたのです。

 もちろん叱られるような行動をした私が悪いのですが、「あ、この人たち、裏で話し合って、私をコントロールしようとしているな」という感覚はあんまり気持ちのいいものではありませんね。

 支援をしている時に、ああ、このまま行ったら生活が破綻してしまうなぁとか、法律に逆らってしまうなぁとか思うんですけど、どうしてもこちらの言っていることが伝わらないことがあります。そんな時、もっと権威のある人(たとえばCW)から言っていただいたらちょっとは効くんじゃないかなんてことを思って、お願いをしたりします。

 それは必要なことでもあるんですが、よくよく注意して実行しないといけません。

 できるならば、「このことはとっても大事なことだし、自分たちではなんとも解決できないからCWさんのところへ一緒にいって相談しよう」ぐらいのことを言って、CWさんにあんまり情報を渡さないまま出かけ、CWさんに情報を理解してもらうところから本人に入ってもらって進めた方が、より穏やかなかんじで、なるべくそうした方がいいと思います。

 時に連携している支援者同士で意見が違って調整したりしているみたいな様子を当事者にみてもらったほうがいいかもしれませんよ。

 情報の開示ということとも関係します。今の世の中では、「この薬を飲んでたら治るんだから黙って飲みなさい」なんてことは通らなくなってきましたよね。「この薬はこんな副作用があるし、こういう効き方をするので、こんな風に工夫して飲んでみて、また教えて」ということです。支援の仕方についても同じで、この支援や支援者にはこういう癖があるし、こういう働きをするのだなぁというところが少しオープンであった方がいいでしょう。相談員としては、当事者のことだけを考えるのではなく、いろんな支援者の方を含めた上で、いろいろ考えたり相談したりしているというスタンスです。
 
 このへんはコツの問題で、連携して情報を共有しておくのがあまりよくないという話ではありません。連携ということで突っ走りすぎないように、足したり引いたり、ほどよいぐらいでやっていきます。
 
金銭の預かりの工夫
 
 依存症の問題があって野宿に至っている人の場合は、アディクションとの関係でお金の使い方がおかしくなっているわけですので、治療と不可分のものとして、金銭の預かりを支援の条件とする場合が多いです。

 知的障がいがあって計算が苦手とかの問題ではなくて、そもそもソロバンをはじいてみるという習慣がない人がけっこういます。じゃ、その人は考えないでお金の話をしているのかというとそうでもなくて、なにやら直感で「今日はいくらほしい」とか言いますので、あらためて電卓をおいて、計画をしてみます。紙に書いてちゃんと計算する。あるいは、計算してもらいます。

 計算した結果、はじめに本人が言っていた金額とあまりかわらなかったりします。しかし、計算をしなくて直感的に言っていたときよりは、ずっとお金に対する関心度が高まり、安心感が強くなっている印象があります。

 そういうようすを見ていると、ただ「お金の面に配慮しよう、生活を成り立たせるためお金を大事にしよう、それが自立の基本だね」という考え方とはすこし違う様相があるような気がします。どちらかというとからだや健康に対する配慮、自分に対する配慮がなされているかいないかという問題に近い気がします。

 たとえば、血圧のことを考えてみるといいですね。「今日は何だかぼーっとするし耳鳴りがあるから血圧が高いに違いない、塩分の多い食事は控えた方がいいな」とか直感的に感じたとしてもそのことで養生のためにコントロールすることは難しいです。そこではやっぱり血圧を実際に機会で測定してみることを勧めますよね。数値にして具体的にわかるものにする。定期的につけてもらって、季節の変化やタバコの量などを考え合わせていけるようになると、からだや健康に配慮していってもらえることになるでしょう。

 多少無駄遣いすることがあってもいいのですが、その結果、どんな影響があるのか、具体的に理解してもらうことが基本なのではないかと思います。
 
知的障がいをお持ちの方で、上手にお金の管理ができない、そういう方は、生活保護の申請時から金銭の預かりが必要だね、とずっと織り込んでやっていくので、受け入れてもらいやすいのですが、居宅保護にはすでになっていて、どうもお金のコントロールができていないという方の場合、お金を預かっていっしょに計画を立てていくというコースにはなかなか乗ってきてくれないものです。今まで結構だまされてきた方が多いですからね。NPO法人だかなんだか言うのは信じられないでしょう。

 そんな時どうするかなんですが、こういうときこそサラリーマンの営業の感覚をもっておくといいかな、と思います。

 営業で企業を回ったりすると、はじめはなかなか品物を取ってくれません。商品のすばらしさをどれだけ訴えたところで、最初に喰いついていただけなければ、あとは鬱陶しがられるでしょう。そんな時は、くどくど時間を長くとるのはやめます。そのかわりちょくちょく行く。行っては、「どっかすみっこでもあいてませんか~」「これ今だけちょっと安いんですよ~」とか言っては、すぐ帰る。これをくり返していると、商品はとってくれないんですが、相手がアイミツを取るのに情報をほしがったり、ちょこちょこっと便宜を求めてくることがあるので、いやがらずぱっぱーとそろえておく。そうすると人間関係ができてきちゃうので、何かの弾みで、「あんたんところに頼もうか~」ということになるでしょう。あるいは期間限定でちょっとだけ品物をおいてもらって試してもらうなんてことをします。そこで納品の無理が多少きいたり、掃除が丁寧だったり、ポップがきれいだったりすると、悪い印象ができないので、次も何かあるとあそこに頼もうかということになるでしょう。

 ちょうどそれと同じやり方をします。収入認定の仕組み等が理解できなくて、急に返還金を請求されたので、「生活保護はいいわ、と思ってアパート出てきた」なんていう相談があった時は、「じゃ、生活の建て直しのために応援するので、しばらくお金の預かりをしましょう」と話して、計画をたて何ヵ月後にはまたご自身でお金を持ちましょうという約束をします。それで、その間にお金以外でもいろいろと困っていることがあれば一緒にやってみて、解決していく。ほんで首尾よくお金が軌道にのれば、約束の終了ということで預かったお金や通帳を返してしまいます。するとまず約束を守る組織であると思ってくれますね。それでお金を預かっていた時に特に嫌な対応がなければ、次困った時も、あそこに相談行こうと思いますよね。そんなことをしばらくくりかえしていると、何か利殖をするわけではありませんが、証券会社の担当にお金を預けにくるお客様のように、お金を預けますという話になってくるようです。

 アディクションがある場合はそうはいかないのですが。
 
壁をぶち破れ!
 
 いわゆる問題ケース、人に暴力をふるったり、壁を破ったり、リストカットしたり、飛び降りたり、盗んだりという場合もいろいろなケースがあると思います。理想論ではなかなかうまくいかないでしょう。

 境界例パーソナリティ障害とか言われたりするような難しさを持つ方ではないのですが、軽い知的障がいをお持ちの方で、ある日「壁に穴あけたわ」と言ってこられたので、部屋を見に行きました。するとほんとにドッシャッとボードが砕けていて、ケイテンがむき出しになり、コンクリがすかっと見えている。これは「バットかなんかでどついたの?」と訊くとどうも素手らしい。たいへんな破壊力ですね。彼とはケンカしないでおこうと思いました。

 壁に穴をあけると簡単にいいますが、これは余程のことです。ガス爆発を起こす直前のように相当にストレスが溜まり、出口がないということでなければ、そんな行動はしないものです。自分が痛いですしね。

 そういう問題行動については、基本は次のように考えています。「もしもその行動をしなかったとしたら、もっと危険な行動か状態に至ったのだろう。周囲から見ているとおかしな行動でも、本人にとってはそれをすることできっと得をしていることがあるのだろう」と。

 そこで、相談員の側がまずそういった行動を起こす、ストレス、症状、行動と考えのパターンを認めることからはじめます。「壁に穴をあけることはいけないことです、そんな風にしていると部屋を追い出されますよ」ということを説得してもまず本人には思いは届かないでしょう。

 「そういうことで、悩んでいたんだ。それはたいへんだったね。壁に穴をあけることで、もしかするとそこにいた人を殴らなくてすんだのかな」という感じで話を進めた方がうまくいくと思います。

 もうちょっと進むと、コンビニのドアをストレスで割りそうになったというようなことを言ってくれた人がいましたが、「んー、そこまでストレスが溜まってたいへんなんだから、ガラスぐらいちょっと割ってみたら?まぁ、もちろん後で請求されるだろうけど、そのまま我慢しているよりはいいんじゃない?」とか答えている場合もあります。「するといやーやっぱやめときます」という風に答えてくれるのでほっとします。

 多分、ぎゅーっと溜まった感情やストレスで表現できていないものを、破壊を前提にして、とりあえず言語化するとそれだけでかなりテンションは下がるのではないかと思います。勉強に馴染んでいる人には、ノートに書いてきてもらったりします。あとSSTなんかも活用しています。
 
 あと問題例とされている人、時に境界例パーソナリティ障害と診断がついている人の中には、サバイバーの人たちが多く含まれているということを忘れてはいけません。男性にも性的虐待を受けた方がいます。虐待・ネグレクト、事故災害のPTSD後を生きる方に加えて、児童養護施設の経験ということも含めていいかもしれません。幅はありますけれど、彼らに対する時の、基本的な考え方は、「今生きていることに、すでにその人の力と価値がある」ということです。

 社会規範からは、迷惑で困った行動に見えても、それらの行動をいろいろと組み合わせて工夫してなんとか生きようとしているわけです。そこを見失うと応援がうまくいく可能性はずっと低くなるでしょう。
 
【仕事探しをはじめる】
 野宿状態から脱して、生活が安定すると、若年層ですから、仕事をしていく段階に入っていきます。その際のあせり、気の重さ。そういうことについて考えてみたいと思います。

 考えて見ますと、野宿状態になり生活保護を受給するに至るまでに、相談に来られる方は職場の中でさまざまな苦労を重ねてこられています。流れ作業についていけないなど、身体能力的なものもあるかもしれませんし、人間関係で悪い立場に陥りやすい行動のパターンをもっている、あるいは勤める先が次々と倒産したりブラックだったりというようなことで、つらい経験をお持ちなわけです。

 そのため、いざ再就職をめざすということになると、今度もうまくいかないんじゃないかとネガティブに考えてしまっても当たり前ではないでしょうか。

 ところが相談員というのはその気持ちにあんまり同情はしないんですね。なぜ同情しないのかというと、相談員というのは、現に仕事をしているからです。仕事をしているため「仕事ぐらいできるやろ」とどこかで考えている。あるいは「仕事してる私の方がしんどいわ」ぐらい思っているかも。そんなわけで、仕事探しで逡巡している人たちをみてだんだんイライラしてきます。

 わたしはこう考えることにしています。相談に来られている方が一度野宿状態に陥ったあと、就職をめざすということは、ちょうど私たちが、起業に一度失敗して、しばらくサラリーマンをして、さあもう一回起業しようかという時の悩みに実は近いのではないかと。一度失敗していたら、それは慎重になるでしょうし、やっぱりやめようかな、サラリーマン生活を続けようかなとか非常に悩むのは当たり前かと思いますが、どうでしょうか。そういうレベルの悩みなのかなと仮定しておくと、丁寧な支援ができるのではないかと思います。


就職安定資金融資事業の問題点

平成21年度補正予算案では、ホームレス、住居喪失離職者、住居喪失不安定就労者に対しての施策のボリュームがますことになるようです。

http://www.mhlw.go.jp/bunya/seikatsuhogo/kaigi/dl/090512-2a.pdf

 現在の段階では運用の実際が見えてこないのですが、国策として生活保護施策の手前にハローワークを窓口として、求職・技能訓練とセットにした支援策を準備する方向へ全体としては向かっているようです。

 これは雇用勧奨や企業への補助金に制限される傾向にあった労働政策を転回するものであり、その志向性については支持できるものと考えます。

 ただ施策を実施するにあたっては、さまざまな不備や障害が生ずるものであり、実際の困窮に届くためには、注意深く、現場の問題点を拾い上げる姿勢が、立法者、行政に求められています。

 この機会に08年末から、住居喪失離職者、住居喪失不安定就労者を対象にして実施された施策の問題点を検討してみたいと思います。


就職安定資金融資事業(住居喪失離職者分)の問題点(その1)

 就職安定資金融資事業は、国が2008年12月よりハローワークを受付機関として実施しています。貸付を受けられる対象者は、「事業主都合による離職に伴って住居喪失状態となっている離職者」です。昨年秋より問題化した、派遣切り・期間満了に伴う失業者が想定されています。
融資を受けるには以下の要件を満たす必要があります。
 
①過去1年以内に事業主都合によって離職し、現在も失業状態にあること
②その離職が直接の原因となって社員寮などの住居を喪失し、現在も住居喪失状態にあること
③ハローワークに求職申込みをして継続して就職活動を行うこと。
④預貯金、資産がないこと。
⑤離職前に主として世帯の生計を維持していた者。
⑥多重債務者や自己破産者など返済困難者でないこと。
 
融資の内容は、
 
・住宅入居初期費用 上限40万
・転居費・家具什器費 上限10万
雇用保険受給資格者でない方に対しては、さらに、
・家賃補助費 上限月額6万円×6ヶ月分
・生活・就職活動費 上限月額15万円×6ヶ月
 
となっています。
 融資の実行日より6ヵ月以内の末月まで雇用保険一般被保険者資格を取得すると、住宅入居初期費用から敷金を除く分と転居費・家具什器費は全額免除されます。また生活・就職活動費のうちの50%が免除されます。
この就職安定融資を利用できるよう支援を進めるなかで、いくつかの問題点が表面化してきました。
 
 融資決定までの生活費をどう工面するか?
 
融資決定に至るまでに、離職票に加えて、ハローワークから渡される「離職・住居喪失証明書」を、事業主に送付し、記入・返送してもらう必要があります。就職安定資金融資事業に理解があり、仮契約等の便宜を図っていただける不動産を自分で探し、「入居予定住宅に関する状況通知書」の記入を受け、ハローワークに提出しなければなりません。
 この手続きには、最大限迅速に進めて3日、事業主が労務関係を別会社に委託している場合など、10日以上かかる場合もあります。
 書類が揃えば、労働金庫による審査へ移ります。「状況通知書」に記す入居日を見込みで早くしておくことで、労金の審査を急いでもらうことは可能ですが、債務状況等を調べる場合もあり、口座への入金まで3日~5日をみておく必要があります。
 融資を受けられるか否かが判明するまで、早くて1週間、時間がかかれば15日程度の期間を見ておかなければなりません。
 現実に相談に来られる方で手持ちを1000円以上持っておられる方は、ほとんどいません。この手続きの期間をどのように越えていくことができるでしょうか。
 「野宿しながら、耐えるように」と答える以外にない現状です。

就職安定資金融資事業(住居喪失離職者分)の問題点(その2)へ続く。
 

ネットカフェの前で

年末年始は休養も取りながら、まめにネカフェ前に根を生やそうと思っていたのですが、夫婦や家族で仕事と住むところを失った方の相談が急増して、ぱたぱた動いていると、早くも1月半ばになってしまいました。

こんなはずでは・・と思いつつ、あせってもしょうがない。今週からがんばります。

なぜ夫婦や家族の相談が増えたのか?仕事を失って、収入が無くなっても、生活は2人分。大阪では製造派遣の雇い止めより、建築や清掃などのパートアルバイトから雇用削減が深刻化しているのだろうか、といろいろ考えてしまします。

困窮が夜の街のどこに落ちている?外に出ていなければ知ることはない。報道関係の取材は、今旬のネタを求めて、貧困を探している。うーむ、情報の新自由主義。経験の貧困。経験の伝達の貧困。現場100回でいきましょう。

労働福祉センター発行のセンター便りに掲載されました。

ネットカフェに「難民」?どういうこっちゃ?というタイトルで記事がでました。
西成労働福祉センター発行の「センターだより」403号です。

不勉強の上、言い足らず、そしてなんか暗くて、恐縮なのですが、さらっと一読いただければ幸いです。

http://www.osaka-nrfc.or.jp/

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