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社会問題解決のための作業ルーム

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質問です(再投稿)

管理人さんは、釜ヶ崎に詳しいと思うので、質問させてください。

1、釜ヶ崎に住んでいる人たち(ホームレスを含めて)が、釜ヶ崎にやってくることになった事情は、幾つかに分類できるのでしょうか。

2、釜ヶ崎に住んでいる人たちの生活パターンは、幾つかに分類できるのでしょうか。

3、釜が先に住んでいる人たちの今後は、どのように分類できるのでしょうか。

なんだか、大所高所からの質問で気が引けますが、しかし現状の理解と問題の理解のためにお尋ねいたします。

ひまなときに、少しずつ答えていただければ、うれしいです。

がんばってください。

今は、世間の目も優しいのですが、それがいつまで続くか、心配でもあります。

遅くなりましてすみません!

いつも見ていただきまして、ありがとうございます。今日はデータを職場においてきてしまいましたので、ひとまず簡単にお返事いたします。

1これは難しい質問です。年齢によって経過してきた時代が異なります。現在50歳代、60歳代の方は20歳30歳の時期を80年代90年代に送っており、建設労働市場が労働力を吸収する力を持っていたと思います。この時期に日雇の建設労働者に移行した層は釜ヶ崎をはじめとする寄せ場の利用の仕方を知り、あいりん職安での求職と日雇雇用保険や健康保険などの制度、地域の生活資源(医療センター、簡易宿泊所)を知っていく中で、建設日雇労働者としての自覚をもっていった人たちが、この世代の中心をなしています。大きく捉えると、これら労働者は、仕事がよくでき、現金直行で仕事をし、雇用保険をもって簡易宿泊所を利用できる職人層と飯場での生活を中心とし、時に仕事が途切れると野宿へと陥ってしまう層に分かれます。そして野宿者層へ近づいていくほどに、知的障害、発達障害、アルコールや薬物の依存症を含め精神障害、受刑、生育期のDVやネグレクト・貧困・学習機会の無さが遠因となって適切な支援を受けられない人々が増える傾向は間違いないと思います。以上のことを踏まえたうえで、50歳代60歳代で釜ヶ崎に住んでいる人については、90年代初頭のバブル崩壊時期までに正社員で勤めるよりも収入が一時的に上であることもあり、十分生活できるから建設日雇労働というスタイルを選んだが、不況や建設労働市場の縮小にともない、次第に困窮へ野宿へと押されていく職人層と、他の職では長期に就労できず、社会保険を活用して転職し貧困に陥らない方策をもてないが、好況期の建設現場であれば、一定の仕事を得て生活ができていた最困窮層この二つに大まかに分類できるのではないか、と思います。
 20代から40代の若年層については、50代60代の最困窮層と地続きで飯場労働から仕事が途切れて、釜ヶ崎で利用できる社会資源(市立更生相談所経由してケアセンター、炊き出しなど)を知っていく層と派遣切りや雇い止めの影響で寮や滞納でアパートを出て、簡易宿泊所を利用するなかで、釜ヶ崎へ入っていく場合もあれば、また釜ヶ崎支援機構など支援団体や労働福祉センターなどが若年の不安定就労・住居喪失者の支援を行っていることと住居喪失にいたる=生活保護施策からホームレス施策に行政対応が切り替わってしまうため、ハローワーク、行政機関より釜ヶ崎へ行くことを勧められる人たちもいます。しかし後者の人たちが経済状況によって釜ヶ崎に到ったのは事実ですが、その約6割~7割の層が精神科受診を要しています。不安定な派遣労働の中で、鬱症状が出ている場合もあれば、障害への適切なケアがなされないまま、懸命に仕事をしてきた方もおられます。仮に失業給付を受ける資格があったとしても住所があり、給付までの期間(1月~3月)を耐える蓄えをもっていなければなりません。
若年層の釜ヶ崎への移入については、不安定な雇用形態と高齢者採用に厳しい日本の雇用環境から野宿状態に陥る高齢の日雇労働者野宿労働者への一定の対策が釜ヶ崎で行われてきたために、若年層が路上に落ちるときの最後の避難所が釜ヶ崎になってしまっているようです。

無題

2です。

2005年国勢調査では、釜ヶ崎に29,000人が住んでいます。男性が24,000人、女性が5,000人です。

過去も含めた生活形態ということで言えば、日雇労働者、地域住民(商店、飲食店、簡易宿所経営など)、そして忘れてはならないのが、暴力団構成員です。

このなかで、日雇労働者に焦点をおくと、現役の労働者層、野宿生活者層、生活保護受給者層の三つに分かれます。

2008年10月13日更新の釜ヶ崎(あいりん地域)データ-これは現在データの出どころを調べています、仕事場で落ちてたのをさらっとコピーしたので(ドロボー!)-によると、地域内労働者数を13,000人から15,000人と推測されています。この推測の中には市内外に散らばって野宿生活している特別清掃登録者や飯場生活者も含まれています。

地域内で、時間を限定するともう少し少なくなりますが、上記地域労働者は何らかの釜ヶ崎内の生活資源、求人を利用している層ですので、実状はこのぐらいだろうと私も考えます。

釜ヶ崎地域内での野宿生活者は1日あたり、860人。うち700人前後がシェルター(緊急夜間宿所)を利用しています。

大阪市内の野宿生活者は3,600人、府下で4,300人。08年年末からはもう少し増えていると感じています。この中には、釜ヶ崎地域労働者である層が含まれています。野宿は市外でアルミ缶回収で生活をつないでいるが、月3回特別清掃を利用するなど。

生活保護受給者は釜ヶ崎で6,900人。もともと釜ヶ崎の日雇労働者で、認知症やアルコール依存等の問題が少なく、自立した生活が営めるものは釜ヶ崎の外、ただし、西成区で居宅保護を受ける場合が多く、もと釜ヶ崎労働者としての生活スタイルが地域外に移出されていく傾向があります。

西成区では23,000人が生活保護を受けていますが、大阪市全体で110,000人ですので、西成区の突出した生活保護受給者数がご理解いただけると思います。

依存症や認知症等の問題があって釜ヶ崎の簡易宿泊所改造のサポーティブハウスで金銭管理を受けながら生活されている方が1,500人おられます。

今後高齢化が進む中で、それに伴うケアの必要性現在以上に高まってくると思いますが、釜ヶ崎の居住環境は低く、支援拠点が少ないこと、バリアフリーの面では劣悪な状況で次の20年の課題をどうするか、この辺は、街づくりと福祉に関心を持つ方に出されている大きな課題と思います。

私個人としては、労働問題からの切り口の方が好きなので、次の機会に少し述べさせていただければと思います。

労働福祉センター発行のセンター便りに掲載されました。

ネットカフェに「難民」?どういうこっちゃ?というタイトルで記事がでました。
西成労働福祉センター発行の「センターだより」403号です。

不勉強の上、言い足らず、そしてなんか暗くて、恐縮なのですが、さらっと一読いただければ幸いです。

http://www.osaka-nrfc.or.jp/

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質問です(再投稿)

管理人さんは、釜ヶ崎に詳しいと思うので、質問させてください。

1、釜ヶ崎に住んでいる人たち(ホームレスを含めて)が、釜ヶ崎にやってくることになった事情は、幾つかに分類できるのでしょうか。

2、釜ヶ崎に住んでいる人たちの生活パターンは、幾つかに分類できるのでしょうか。

3、釜が先に住んでいる人たちの今後は、どのように分類できるのでしょうか。

なんだか、大所高所からの質問で気が引けますが、しかし現状の理解と問題の理解のためにお尋ねいたします。

ひまなときに、少しずつ答えていただければ、うれしいです。

がんばってください。

今は、世間の目も優しいのですが、それがいつまで続くか、心配でもあります。

遅くなりましてすみません!

いつも見ていただきまして、ありがとうございます。今日はデータを職場においてきてしまいましたので、ひとまず簡単にお返事いたします。

1これは難しい質問です。年齢によって経過してきた時代が異なります。現在50歳代、60歳代の方は20歳30歳の時期を80年代90年代に送っており、建設労働市場が労働力を吸収する力を持っていたと思います。この時期に日雇の建設労働者に移行した層は釜ヶ崎をはじめとする寄せ場の利用の仕方を知り、あいりん職安での求職と日雇雇用保険や健康保険などの制度、地域の生活資源(医療センター、簡易宿泊所)を知っていく中で、建設日雇労働者としての自覚をもっていった人たちが、この世代の中心をなしています。大きく捉えると、これら労働者は、仕事がよくでき、現金直行で仕事をし、雇用保険をもって簡易宿泊所を利用できる職人層と飯場での生活を中心とし、時に仕事が途切れると野宿へと陥ってしまう層に分かれます。そして野宿者層へ近づいていくほどに、知的障害、発達障害、アルコールや薬物の依存症を含め精神障害、受刑、生育期のDVやネグレクト・貧困・学習機会の無さが遠因となって適切な支援を受けられない人々が増える傾向は間違いないと思います。以上のことを踏まえたうえで、50歳代60歳代で釜ヶ崎に住んでいる人については、90年代初頭のバブル崩壊時期までに正社員で勤めるよりも収入が一時的に上であることもあり、十分生活できるから建設日雇労働というスタイルを選んだが、不況や建設労働市場の縮小にともない、次第に困窮へ野宿へと押されていく職人層と、他の職では長期に就労できず、社会保険を活用して転職し貧困に陥らない方策をもてないが、好況期の建設現場であれば、一定の仕事を得て生活ができていた最困窮層この二つに大まかに分類できるのではないか、と思います。
 20代から40代の若年層については、50代60代の最困窮層と地続きで飯場労働から仕事が途切れて、釜ヶ崎で利用できる社会資源(市立更生相談所経由してケアセンター、炊き出しなど)を知っていく層と派遣切りや雇い止めの影響で寮や滞納でアパートを出て、簡易宿泊所を利用するなかで、釜ヶ崎へ入っていく場合もあれば、また釜ヶ崎支援機構など支援団体や労働福祉センターなどが若年の不安定就労・住居喪失者の支援を行っていることと住居喪失にいたる=生活保護施策からホームレス施策に行政対応が切り替わってしまうため、ハローワーク、行政機関より釜ヶ崎へ行くことを勧められる人たちもいます。しかし後者の人たちが経済状況によって釜ヶ崎に到ったのは事実ですが、その約6割~7割の層が精神科受診を要しています。不安定な派遣労働の中で、鬱症状が出ている場合もあれば、障害への適切なケアがなされないまま、懸命に仕事をしてきた方もおられます。仮に失業給付を受ける資格があったとしても住所があり、給付までの期間(1月~3月)を耐える蓄えをもっていなければなりません。
若年層の釜ヶ崎への移入については、不安定な雇用形態と高齢者採用に厳しい日本の雇用環境から野宿状態に陥る高齢の日雇労働者野宿労働者への一定の対策が釜ヶ崎で行われてきたために、若年層が路上に落ちるときの最後の避難所が釜ヶ崎になってしまっているようです。

無題

2です。

2005年国勢調査では、釜ヶ崎に29,000人が住んでいます。男性が24,000人、女性が5,000人です。

過去も含めた生活形態ということで言えば、日雇労働者、地域住民(商店、飲食店、簡易宿所経営など)、そして忘れてはならないのが、暴力団構成員です。

このなかで、日雇労働者に焦点をおくと、現役の労働者層、野宿生活者層、生活保護受給者層の三つに分かれます。

2008年10月13日更新の釜ヶ崎(あいりん地域)データ-これは現在データの出どころを調べています、仕事場で落ちてたのをさらっとコピーしたので(ドロボー!)-によると、地域内労働者数を13,000人から15,000人と推測されています。この推測の中には市内外に散らばって野宿生活している特別清掃登録者や飯場生活者も含まれています。

地域内で、時間を限定するともう少し少なくなりますが、上記地域労働者は何らかの釜ヶ崎内の生活資源、求人を利用している層ですので、実状はこのぐらいだろうと私も考えます。

釜ヶ崎地域内での野宿生活者は1日あたり、860人。うち700人前後がシェルター(緊急夜間宿所)を利用しています。

大阪市内の野宿生活者は3,600人、府下で4,300人。08年年末からはもう少し増えていると感じています。この中には、釜ヶ崎地域労働者である層が含まれています。野宿は市外でアルミ缶回収で生活をつないでいるが、月3回特別清掃を利用するなど。

生活保護受給者は釜ヶ崎で6,900人。もともと釜ヶ崎の日雇労働者で、認知症やアルコール依存等の問題が少なく、自立した生活が営めるものは釜ヶ崎の外、ただし、西成区で居宅保護を受ける場合が多く、もと釜ヶ崎労働者としての生活スタイルが地域外に移出されていく傾向があります。

西成区では23,000人が生活保護を受けていますが、大阪市全体で110,000人ですので、西成区の突出した生活保護受給者数がご理解いただけると思います。

依存症や認知症等の問題があって釜ヶ崎の簡易宿泊所改造のサポーティブハウスで金銭管理を受けながら生活されている方が1,500人おられます。

今後高齢化が進む中で、それに伴うケアの必要性現在以上に高まってくると思いますが、釜ヶ崎の居住環境は低く、支援拠点が少ないこと、バリアフリーの面では劣悪な状況で次の20年の課題をどうするか、この辺は、街づくりと福祉に関心を持つ方に出されている大きな課題と思います。

私個人としては、労働問題からの切り口の方が好きなので、次の機会に少し述べさせていただければと思います。

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