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釜ヶ崎解放2017年4月28日号

仲間たち!

釜ヶ崎日雇労働組合・反失業連絡会

釜ヶ崎メーデー

5月1日、釜日労・反失連が主催するメーデー集会に集まり、働いて暮らしていける・野宿しなくていい釜ヶ崎を求めて、ともに声をあげよう。

 

メーデー当日の行動予定

 

朝7時センター中央にて  メーデー集会

 

8時30分頃、三角公園に向けて地域内デモ

 

 

日雇労働者・野宿生活者の闘いをふりかえる

この国で、戦後72年という時間、日雇労働者・野宿生活者の仕事と生活の保障を求める闘いは、さまざまな形をとって続いてきた。

戦後すぐは、街が焼かれ、経済はまだ再興せず、帰還する兵士が多数失業者になるという全国的な大失業状況の中で、日雇労働者が職安・行政窓口で座り込み闘争を行った。国権の転覆を恐れた国は、失業対策事業を全国で開始した。

高度経済成長から低成長期へ進み、さらにバブルが起こるあいだ、国は終身雇用をたてまえとして年金制度を組み上げながら、失対事業で働く日雇労働者の高齢化をみつつ、失対事業を段階的に廃止していった。疾病・障がい・一人親・高齢に生活保護を限ろうという雰囲気が醸成されたのもこの時期である。

釜ヶ崎での闘い

ところが、この全国的な動きと異なる様相を見せたのが釜ヶ崎である。60年代、暴動が多発する事態を受けて、女性や子どもも暮らす地域であった釜ヶ崎を、単身の日雇労働者が集まる街へと、行政が主導し作り変えていった。当時建設日雇の労働力を必要とした関西経済界の意向を受けてである。地方から若者が仕事を求めて大阪へ・釜ヶ崎へ出てきた。約20年の時間差で、極めて局地的に、不安定な就労形態のためアブレが続けば、野宿におちいりやすい単身の労働者が多数集まった地域へと釜ヶ崎は変貌した。オイルショック不況期には、テント村での反失業闘争があり、オイルショックを抜けたあとは暴力手配師を追放する釜共・釜日労の取り組みが続いた。賃金不払いや労災もみ消しが日常のことで、下手をすれば殺されて埋められることもあるという日雇労働者を人間扱いしない就労構造を、労働者の団結が力でかえていったのだ。

反失業闘争~就労と生活の保障制度実現を求めて

バブル期に入ると、釜ヶ崎はさらに多くの労働者を受け入れていった。90年バブルが崩壊し、その影響は釜ヶ崎を直撃した。失業した仲間が、釜ヶ崎の外に公園や河川敷でテントを張り、それまで、釜ヶ崎の内側に抑えられていた失業・野宿問題が、いっきょに社会問題となった。また、釜ヶ崎で野宿をする仲間が千人に達した。反失業連絡会に結集した仲間が、大阪府・大阪市を相手に座り込み・野営闘争を行い、就労対策を求めて行政の責任を訴えた。この交渉の過程で、センターを緊急の宿泊場所として開放させるセンター開放をかちとった。野営闘争やセンター開放の活動を、仲間が自主的に粘り強く担い続けたことが、特掃やシェルターとして、実ったのだ。

いま、なにをなすべきか

特掃が始まって20年以上、シェルターができて15年以上の月日が流れ、仲間の高齢化が進んでいる。世の中では、65歳以上を越えると仕事から引退という風潮があり、「生活保護を受ければいいではないか」という意見もある。年齢にかかわらず、「野宿状態なら生活保護を受けたら」という意見もある。しかし、仲間の希望は、「からだが動くうちは働いて生活したい」ということである。その願いを集めて、日雇労働者の闘いは、経済界・行政の思惑や資本主義社会において避けられない景気循環・バブルにかかわらず、労働者に、適正な仕事を、働いて暮らしていける仕組みを求め続けてきた。

アベノミクスで雇用が確保されていると政府は言う。求人は確かにある。しかし、パート・アルバイトや契約社員など臨時の仕事が多く、非正規雇用が増え続けている。同時に貧困がひろがって、労働者の過半は、不安な日々を送っている。日本中が釜ヶ崎と同じになってきたのだ。

世界で戦争や収奪を思うままにしている金融資本主義のただ一つの目標は金を稼ぐということだけだから、いまやいかに労働者をなくすかということを考えだしている。人工知能やロボットに労働をさせて、「労働者はいらない、人間はできるだけ少なく」という方向へ世界の舵を切ろうとしている。機械に働かせ、人間には最低限の生活を保障するというならまだよいが、それすら強欲なマネー資本主義は潔しとせず、戦争をおこして人類の数をうまく調整しようとするだろう。

それゆえ、安心して働いて暮らしていける社会を作るとは、あたりまえのようであって、今もっとも熱い課題である。就労と生活の保障制度を求める反失業連絡会に集まる仲間の取り組みは、その最先端にある。

「からだが動くうちは働いて生活したい」という思いは、ただ単に収入を求めているということではない。健康を維持すること、生きがいをもてること、社会に認められることなど、適正な労働をとおして得られることが、人間にとって極めて重要で豊かな価値があるということを、率直に表わしている。「安心して働いて生活できる釜ヶ崎をつくろう!」というスローガンは、世界の労働者とつながっている。また資本主義の横暴に歯止めをかけ、野宿におちいるような貧困と孤立を、戦争や飢餓を、許さないということで、未来の人類とつながっているのだ。

釜ヶ崎メーデーにたちあがろう!

 

スローガン

 

・特別清掃を拡充せよ!

・55歳以下の仲間の就労制度を作れ!

・白手帳締め付けをゆるすな!

・ホームレス自立支援法再延長をかちとろ

 う!

・住宅扶助単給と就労制度の組み合わせなど

 路上に届く施策を行え!

 

・辺野古新基地建設反対!

・原発再稼働をゆるすな!

・石川さんは無実だ!再審を行え!

 

・失業―野宿の押しつけをゆるすな!

・安心して働いて生活できる釜ヶ崎をつくろ 

 う!

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