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釜ヶ崎解放2017年4月28日号

仲間たち!

釜ヶ崎日雇労働組合・反失業連絡会

釜ヶ崎メーデー

5月1日、釜日労・反失連が主催するメーデー集会に集まり、働いて暮らしていける・野宿しなくていい釜ヶ崎を求めて、ともに声をあげよう。

 

メーデー当日の行動予定

 

朝7時センター中央にて  メーデー集会

 

8時30分頃、三角公園に向けて地域内デモ

 

 

日雇労働者・野宿生活者の闘いをふりかえる

この国で、戦後72年という時間、日雇労働者・野宿生活者の仕事と生活の保障を求める闘いは、さまざまな形をとって続いてきた。

戦後すぐは、街が焼かれ、経済はまだ再興せず、帰還する兵士が多数失業者になるという全国的な大失業状況の中で、日雇労働者が職安・行政窓口で座り込み闘争を行った。国権の転覆を恐れた国は、失業対策事業を全国で開始した。

高度経済成長から低成長期へ進み、さらにバブルが起こるあいだ、国は終身雇用をたてまえとして年金制度を組み上げながら、失対事業で働く日雇労働者の高齢化をみつつ、失対事業を段階的に廃止していった。疾病・障がい・一人親・高齢に生活保護を限ろうという雰囲気が醸成されたのもこの時期である。

釜ヶ崎での闘い

ところが、この全国的な動きと異なる様相を見せたのが釜ヶ崎である。60年代、暴動が多発する事態を受けて、女性や子どもも暮らす地域であった釜ヶ崎を、単身の日雇労働者が集まる街へと、行政が主導し作り変えていった。当時建設日雇の労働力を必要とした関西経済界の意向を受けてである。地方から若者が仕事を求めて大阪へ・釜ヶ崎へ出てきた。約20年の時間差で、極めて局地的に、不安定な就労形態のためアブレが続けば、野宿におちいりやすい単身の労働者が多数集まった地域へと釜ヶ崎は変貌した。オイルショック不況期には、テント村での反失業闘争があり、オイルショックを抜けたあとは暴力手配師を追放する釜共・釜日労の取り組みが続いた。賃金不払いや労災もみ消しが日常のことで、下手をすれば殺されて埋められることもあるという日雇労働者を人間扱いしない就労構造を、労働者の団結が力でかえていったのだ。

反失業闘争~就労と生活の保障制度実現を求めて

バブル期に入ると、釜ヶ崎はさらに多くの労働者を受け入れていった。90年バブルが崩壊し、その影響は釜ヶ崎を直撃した。失業した仲間が、釜ヶ崎の外に公園や河川敷でテントを張り、それまで、釜ヶ崎の内側に抑えられていた失業・野宿問題が、いっきょに社会問題となった。また、釜ヶ崎で野宿をする仲間が千人に達した。反失業連絡会に結集した仲間が、大阪府・大阪市を相手に座り込み・野営闘争を行い、就労対策を求めて行政の責任を訴えた。この交渉の過程で、センターを緊急の宿泊場所として開放させるセンター開放をかちとった。野営闘争やセンター開放の活動を、仲間が自主的に粘り強く担い続けたことが、特掃やシェルターとして、実ったのだ。

いま、なにをなすべきか

特掃が始まって20年以上、シェルターができて15年以上の月日が流れ、仲間の高齢化が進んでいる。世の中では、65歳以上を越えると仕事から引退という風潮があり、「生活保護を受ければいいではないか」という意見もある。年齢にかかわらず、「野宿状態なら生活保護を受けたら」という意見もある。しかし、仲間の希望は、「からだが動くうちは働いて生活したい」ということである。その願いを集めて、日雇労働者の闘いは、経済界・行政の思惑や資本主義社会において避けられない景気循環・バブルにかかわらず、労働者に、適正な仕事を、働いて暮らしていける仕組みを求め続けてきた。

アベノミクスで雇用が確保されていると政府は言う。求人は確かにある。しかし、パート・アルバイトや契約社員など臨時の仕事が多く、非正規雇用が増え続けている。同時に貧困がひろがって、労働者の過半は、不安な日々を送っている。日本中が釜ヶ崎と同じになってきたのだ。

世界で戦争や収奪を思うままにしている金融資本主義のただ一つの目標は金を稼ぐということだけだから、いまやいかに労働者をなくすかということを考えだしている。人工知能やロボットに労働をさせて、「労働者はいらない、人間はできるだけ少なく」という方向へ世界の舵を切ろうとしている。機械に働かせ、人間には最低限の生活を保障するというならまだよいが、それすら強欲なマネー資本主義は潔しとせず、戦争をおこして人類の数をうまく調整しようとするだろう。

それゆえ、安心して働いて暮らしていける社会を作るとは、あたりまえのようであって、今もっとも熱い課題である。就労と生活の保障制度を求める反失業連絡会に集まる仲間の取り組みは、その最先端にある。

「からだが動くうちは働いて生活したい」という思いは、ただ単に収入を求めているということではない。健康を維持すること、生きがいをもてること、社会に認められることなど、適正な労働をとおして得られることが、人間にとって極めて重要で豊かな価値があるということを、率直に表わしている。「安心して働いて生活できる釜ヶ崎をつくろう!」というスローガンは、世界の労働者とつながっている。また資本主義の横暴に歯止めをかけ、野宿におちいるような貧困と孤立を、戦争や飢餓を、許さないということで、未来の人類とつながっているのだ。

釜ヶ崎メーデーにたちあがろう!

 

スローガン

 

・特別清掃を拡充せよ!

・55歳以下の仲間の就労制度を作れ!

・白手帳締め付けをゆるすな!

・ホームレス自立支援法再延長をかちとろ

 う!

・住宅扶助単給と就労制度の組み合わせなど

 路上に届く施策を行え!

 

・辺野古新基地建設反対!

・原発再稼働をゆるすな!

・石川さんは無実だ!再審を行え!

 

・失業―野宿の押しつけをゆるすな!

・安心して働いて生活できる釜ヶ崎をつくろ 

 う!

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釜ヶ崎解放2017年2月28日号

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法、生活困窮者自立支援法、生活保護法などなど、実情に即した施策を可能とする根拠法がありながら、運用が古い方法を引きずっているため、失業・野宿対策が進まないというあいかわらずの主張です。

実際に路上にいる人を包摂する施策が今より進まない限り、同じことを手を変え品を変え、くどく言い続けることも、ちょっとした技術かなと思います。

これらの法の柔軟な運用を巡る課題については、改めて今春、厚労省・国交省・自治体に対する提言を準備する予定です。




今夕、大阪府・大阪市交渉!

18時半より ふるさとの家(三角公園東側)

 

特掃拡充!・越年対策ふりかえり・白手帳締め付け問題など

実情に即した、野宿しないでよい就労・生活の仕組みをつくれ!



 仲間たち!

 

昨年の秋期闘争の内容を踏まえ、より詳細な内容の要望書を、反失業連絡会、越冬闘争実行委員会が、1月4日、要望書を大阪府、大阪市に提出した。裏面にその要望書をのせているので、ぜひ見てほしい。

 

国・府・市は時代を画する失業―野宿対策に今こそ取り組め!

いま、野宿を強いられている仲間の高齢化・野宿の長期化は、緊急事態と言ってよい。片やゼネコンは昨年度の決算であるが、過去最高益を更新するなど儲け倒している状態だ。今年度以後もオリンピックの需要がゼネコンの利益をけん引していくと予想されている。

 

しかし、釜ヶ崎に仕事の増加はない。高齢や「道具がない」「技術がない」などさまざまな理由で、仕事の来ない寄り場で耐えしのばねばらなない。この現実をはねかえそう。

 

働いて暮らしたいと願う気持ちを支える就労対策を、われわれは求める!高齢だからといって切り捨てられない釜ヶ崎を! 55歳以下の労働者には働きながら技術を身につけられる給付付き職業訓練を!

 

生活保護制度・生活困窮者自立支援制度・求職者支援制度すべてについて、釜ヶ崎の実情に即した運用を求めていこう。行政が縦割りを廃し、すでにある制度を柔軟に活用すれば、野宿しなくともよい釜ヶ崎はできる。その一つが、要望書で提案している特掃での就労と生活保護の住宅扶助単給との組み合わせだ。

 

簡単にいうと、特掃の就労をしていて、いろいろ収入を足しても、アパートに住めない場合、住宅費は行政が支援するということだ。特掃で働いているのだから安否確認は今の生活保護ほどケースワーカーががんばる必要はない。病気や体力の低下で働けなくなったら、普通の生活保護に切り替えやすい仕組みだ。

 

ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法の延長を求めよう!

たくさんの制度を釜ヶ崎の仲間・野宿の仲間のために役立たせる柱となるのが「ホームレス自立支援法」だ。この法律が就労対策や生活保護の活用をうたっているから、この15年間不十分ではあるが、対策が行われてきた。

 

まず8月に迎えるこの法の期限切れに反対し、法延長をかちとって、緊急を要する就労・生活保障制度の実現を求めていく足がかりとしよう。

 

大阪府・大阪市交渉にあつまろう!

今日は限られた時間の中で、たくさんの課題について話し合う。もちろん今回だけの交渉で終わらせることはできない。メーデーを挟んで夏にわたる反失業闘争のスタートになる。団結をうち固め粘り強く闘っていこう!18時半、ふるさとの家にあつまろう。

 

 

釜ヶ崎解放2017年2月22日号

釜ヶ崎日雇労働組合の広報『釜ヶ崎解放』に、釜ヶ崎の労働者の高齢化と長期化、雇用保険の締め付け、ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法期限切れの問題など、今ホットな話題を盛り込んで、書きました。

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釜の仲間たち!

ようやく春のきざしを感じられるようになってきた。陽が照っているところなら体がほぐれる。仕事や暮らしの方も春になってくれればいいが、残念ながらそちらは、厳しい状況が続いている。リーマンショック以後の仕事の落ち込みは、回復することなく、もうじき10年になろうとしている。釜ヶ崎の街は高齢化が進み、日雇労働者の数も減ってきているが、野宿しなくともよい仕事と生活の保障制度を求める反失業闘争の重みは年を経るにつれ増している。

 

大阪府・市交渉に参加しよう!

日時:2月28日(火)18時半

場所:ふるさとの家

去る1月4日、大阪府・大阪市に要望書を提出した。まず、この日は回答を聴く。先の越年臨時宿泊所のふり返りを皮切りに、回を重ねて交渉していく予定だ。要望書の内容をウラ面で確認してほしい。

 

国は建設日雇労働者の社会保障を厳しく締め付ける方針か?無保険者を増やすやり方に反対しよう。

白手帳をもっている仲間は、すでにあいりん職安から、黄色の長細い紙を渡されて説明を受けていることと思う。今回の日雇雇用保険制度の運用の変更は、つまるところ、同じ飯場に当面の間継続して入っていたり、同じ業者からずっと仕事に行っていたら、白手帳をいったん取り上げる。そして一般の雇用保険に加入しろという内容だ。

確かに雇用保険法では、日雇労働者とは、「一 日々雇用される者。二 三十日以内の期間を定めて雇用される者」と定義され、「前二ヶ月連続で一八日以上同一業者に雇われた者は除く」とも書かれている。国・あいりん職安に訊ねれば、「法律どおりやっていくので」という答えが返ってくるだろう。

しかし、

(1)   仕事がある時は、なるべく働いておきたいと思うのが人情だ。2ヶ月連続で18日同一業者で働くことだってありえる。「18日超えるから休ませてくれ」とは言いにくい場合もある。だからといって、今ある仕事がずっとあるという保障がないのが、この仕事だ。

 

(2)   白手帳を取り上げられて、一般雇用保険になり、その後仕事が無くなって、飯場を出るなり、業者を離れるとなると、再び白手帳を交付してもらうことになる。その場合、一般の雇用保険をもらうことも難しいし、白手帳を改めて交付してもらってから2ヶ月は最低アブレ手当を受ける資格がなくなる。

 

そうした事情があるからこそ、今までは職安も実情に即した形で、2ヶ月連続で18日以上同一の業者で働いた場合も、「継続認可申請書」を書けば、白手帳の継続を認めてきたのである。ところが今回のアブレ手当の支給事務大幅見直しによって継続認可申請書は誰でもあと1回しか書けず、7月以後は、2ヶ月連続で18日以上、あるいは、6ヶ月間同一業者のみだと、一般雇用保険に杓子定規で切り替えるというのである。このやり方では、先の(1)(2)の理由で、日雇であれ一般であれ雇用保険の無資格者を多数発生させることになる。実情からかけはなれたやり方であり、日雇労働者切り捨てにつながる。

 

ともに反失業闘争へ!

 国は日雇労働者の数が減少しているため、施策を縮小しようとしているようだ。日雇労働者が、いないことにしたいのだ。建設日雇労働者(日雇雇用保険所持者)は、統計上全国15万程度になっている。霞が関からみたら「いない」ということと同じなのかもしれない。だが、人数が減少しようと、現場は日雇がいなければ回らない。対策を後もどりさせることがないように国に働きかけよう。

大阪では、まず府・市の担当に、国の実情を踏まえないやり方を理解してもらい、日雇労働者切り捨てを進めさせない防波堤となってもらうことがだいじだ。2月28日から始まる交渉はその取り組みのスタートとなる。もちろん高齢の仲間とともに、白手帳を活用できるぐらいの仕事出し、特掃の拡充も求めていく。

また、今年は「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」の再延長を求めて、4月国会請願行動へ立ち上がる。この法がなくなると、日雇労働者の就労対策を担当する厚生労働省職業安定局が、大都市における日雇労働者・野宿生活者の支援から遠ざかっていくことになる。「野宿せずに働いて暮らしていきたい」という、あたりまえでまっとうな声を、仲間の団結をとおして国にぶつけ、法の延長をかちとっていこう!

55歳以上の仲間は特掃登録をしておこう!

春の特掃登録は、3月は7日と14日、4月は4日・11日・18日、いずれも火曜日の午後1時~4時、西成労働福祉センターで。本人確認書類と地域で求職する労働者である証明書類がいる。そろえにくい仲間は、早めに西成労働福祉センターで相談するとうまくいく場合が多い。仲間が団結してかちとってきた就労の仕組み、今は大丈夫でも、登録だけはしておこう!

 

2014-2015釜ヶ崎越冬での釜ヶ崎支援機構アピールより

釜ヶ崎の仲間のみなさん

 この4月から生活困窮者自立支援法が施行されます。この法律は、国を動かしている人たちの考えでは、生活保護を抑制するための法律です。

 以前は、貯金が少しあると、それを使ってから生活保護の申請に来てくださいという対応がありましたが、これからは生活困窮者自立支援法に基づいて、別の相談窓口に誘導されます。そこで就職の相談や債務の相談をして、生活できるようにしようというわけです。またアパートを失いそうだったら、期限付きで給付をしようというわけです。

 すぐにわかることですが、野宿状態だとこうした想定の枠からは外れてしまいます。貯金がある人など、まずいないし、月収がまったくない場合から、1万とか3万とか、生活保護以下の暮らしをしているからです。またアパートのための給付だって2年以内の離職票を準備しないといけないとか、制度にのれないようにされてしまっています。

 まず私たちは、国に対して、はっきりと言っていかなければなりません。 

 緊急を要する課題は、「野宿のまま暮らさないといけない状態を変える」ことなのだと。

 生活保護に進む決断をする仲間にはその入口を、もっと入りやすくすべきです。生活保護をまだ望まない仲間たちは、団結して、野宿しなくて良い、仕事出しを求めていきましょう。

 特別清掃事業は、寄り場から、また建設現場から、排除される55歳以上の高齢日雇労働者対策として始まりました。始まりから20年経って、平均年齢はぐっとあがり今64歳から65歳に達しようとしています。求人の減少やゼネコンの年齢制限ということだけではなく、実際に軽作業を求める方が増えています。

 65歳前後という年齢であって、自立支援センターから常用就職をめざすわけにもいきません。まして野宿状態からハローワークで一般の就職をして、食えるようになるということは、まずないでしょう。

 こういう話をすると、世の中で心の持ち主からは、「なぜ生活保護を受けないのでしょうか?もっと受けやすい社会にすべきですね。情報が知らされていないのでしょうか」という良い意見がでます。

 しかしこの問題は、もう少し突っ込んで考えてみる必要があるでしょう。

 生活保護受給している方に対するバッシングの問題があります。このバッシングが生活保護を受ける際に肩身の狭さや申し訳なさを感じるひとつの原因となっています。

 この生活保護バッシングについては、ただ啓発をすれば沈静化するというものではないでしょう。

 現在、アベノミクスをはじめ、世界はマネーゲーム資本主義によっておおわれてしまいました。

外国為替取引や先物取引とかのデリバティブで、年間1300兆ドルが動いています。対して、モノやサービスの貿易額は10兆ドルぐらい。100倍ぐらいの差があります。「投機マネーが世界をまるごと賭博場に変えている」わけです。

 モノやサービスで動く実体的な経済の中で私たちは仕事にありつくことができます。しかし、現在のマネーゲーム資本主義の中では、モノづくりやサービス業というものの比重がどんどん下がっています。人がいらない社会構造になっていっています。

 生活保護受給者への就労支援の結果を大阪市の場合でみますと、稼働層が就労支援を受けると6割以上の方が就職先を見つけることができるそうです。けれどもそこから自立できる人は数パーセントしかいません。つまり、仕事はさせるけれども、食べさせるだけ・生活させるだけの十分な仕事と収入とを与えないそうした社会になっているということです。

 格差が広がる中で、より下層へ落とされないようにしようとすれば、この国の中間層の人々はなにがしかの貯金や財産を、投資に回していかなければなりませんし、そうした社会になっていることを国の実権を握っている人たちは、機会をつかんではアピールしているわけです。

 急に身近な話題になりますが、投資というのはギャンブルといっしょですね。ギャンブルと言うのは国がやろうと民間がやろうと胴元がもうかるようになっているわけです。まぁ、これはギャンブルという仕組みにのる以上いたしかたない部分があるわけです。安倍政権を通り越して、総元締めの米国に金が集中していきます。単純に集中するといっても、それは一般の人々から投資の名目でまきあげた、といって語弊があればかき集めた金が混じっているわけです。

 この国の中間層からしたら、ずっと賭博場の中で暮らすようなものですから、たいへん不安です。また損をするものもでてきて、不満が鬱積しています。

 しかし投資というものは、自己責任ですから、お上に非難をもっていくことができません。不安や不満のはけ口は下へ向かいます。「なんだあいつら将来へのリスクも背負わず、国に食わせてもらってお気楽な身分じゃないか」と思うのは世界の動向を掘り下げて考えていなければ、不思議なことではありませんし、よもやお上の方に不満を向けられては困るので、そうした考え方をあおり、バッシングをするように、今のマネーゲームをあおる人々は、かたくなな信念として持っているわけですね。そうした中在特会などの動きもあって不当な差別やバッシングで苦しめられている在日朝鮮人・在日韓国人の方などと共通の立場に生活保護を受けている仲間は、おかれていると思います。

 まして野宿状態であれば、格好の標的になります。「働くのがイヤで、好きで野宿しているんでしょう」という実際とかけ離れた考えが通ってしまっています。先の生活困窮者自立支援法には野宿状態にある人をきちんと応援するとは一言もかかれていません。そしてホームレス自立支援法では不十分ながらも人権への配慮等が言われていましたが、ホームレス自立支援法を生活困窮者自立支援法に吸収させようとする国の動きは、今まで進んできた対策を明らかに後退させるものです。

 「働くのがイヤで、好きで野宿している」という嘘に対してははっきりとノー、それは違うと言っていきましょう。路上にいても、年をとっていても、「働いてこの社会の一員として、静かに、しかし、がんばって生きていきたいと思っている、けれどもその思いを支える仕組みがない」そのことを訴えていきましょう。

 話の中で、ファシズム批判みたいなことも少し言いましたが、私自身は、敗戦前の日本のような社会に今ストレートに戻ろうとしていると考えているわけではありません。なぜならば、「戦争はいやだ、平和をのぞむ」と思っている私たちよりも、冴えた政治家や官僚たちは、たぶん、過去の歴史を踏まえた上で、もっと上手にやろうとしていると思います。だって米国がこの国の頭を押さえているんだから、中国との関係もあり、米国はそうそう日本に東アジアで簡単に戦争をさせたりはしない。むしろ、これからの将来、幻影としてしか存在しないが、豊かな暮らしがどこかにあるという夢を追わせて、武器を輸出し、世界各地の戦争に参加し、大企業だけが儲けて、上手に人減らししていく、そうした国に日本は舵を切ろうとしていると思います。

 昭和の恐慌があけて、昭和30年代40年代には、釜ヶ崎には西成労働至誠団といういわゆる自由労働者の奉仕団というものがあったそうです。日雇労働者も翼賛体制に組み込まれていったわけですが、稼働層が兵士として取られていくなかで働き手が不足し、賃金はあがっていったそうです。

 これから戦争のため人手不足となり賃金上がるということが起こるとは考えにくいです。朝鮮戦争やベトナム戦争でも仲士の人手不足となりましたが、そうしたことは起こらないでしょう。機械化が進み、人手はいらなくなっています。スピード化が進み省力化されていくなかで、どんどんと人の仕事がなくなっています。それで発達障害を持つ場合など働く環境から弾き出されてしまう人のことが福祉の問題として言われるようになっているわけです。

 そうした現在の社会構造の中では、わたしたちは、つまるところ捨てられる人々、棄民とならざるをえません。

 生活保護や働ける仕組みなど、金儲けの邪魔になるものには、なるべくお金を使わないように、このままでは進んでいくからです。

 釜の仲間たち!つながりあい結びあい団結して、今、野宿-野垂れ死にを強いる制度や社会の仕組みをかえる活動をしていきましょう。

 仲間は、貧しいかもしれない、家族とのつながりが薄く孤独かもしれない、しかし釜ヶ崎には生きがいをもってからだが動くうちは働いて暮らせる野宿しなくてよい仕組みがあり、仲間の支え合いがあり、平和がある、そうしたことが言える釜ヶ崎に、このまちに、かえていくことができるよう、ともに進みましょう。

ありがとうございました。

越年臨時宿泊所の新しいかたち

 1975年から大阪湾縁の南港を中心に宿泊所を建てて実施されていた大阪市の越年対策事業が、今年から釜ヶ崎の地域内3箇所(自彊館本館、三徳寮、今宮シェルター)、港区の第二港晴寮に分かれて行われている。

 釜ヶ崎支援機構は、今宮シェルターの運営を行うことになった。

 はじめての試みをどのように乗りきるか。今までは一日ずつの宿泊を夜間だけ受け入れるシェルターしか動かしたことはない。24時間となって果たしてうまくいくのだろうか。

 200人が食事をとるから食堂がいる、ベッドだけではなくくつろげる場所(娯楽室)も必要だ。宿泊棟からベッドを取りはらって、テーブルをおいたり、畳を敷いたりとたいへんである。

 そして、3交代だから通常のスタッフに加えて、一日あたり40人を雇い入れないといけない。はたして年の瀬のだれもが休みたい時期に人が集まるだろうか?

 不安に押しつぶされそうになるときほど、よいアイデアが浮かぶものだ。

 そうだ、特別清掃(ホームレス状態の方のために大阪府・大阪市が実施している社会的就労)の登録者やシェルターに泊まっている方の中から、スタッフを募ればいい。なんでこんなあたりまえのことにきづかなかったのか!(ズバリ、支援者の位置に安住していたのでしょう…)

 仕事がかたく、人との関係の取り方をうまくこなせる人を、特別清掃スタッフが推薦する形で採用していった。 

 年金や仕事などをやりくりして簡易宿泊所やアパートを維持している人もいるが、多くの人が普段はシェルター暮らしや野宿生活。当然のこと年越しの宿代を工夫できない場合もあるので、いっしょに安い宿を探し、貸付を行った。

 たいていの方は、「仕事がある時はたまに使ってるとこやねん」、「昔はよう泊まってたんやけど」など行き先があるのだが、けっこう「どこを探したらいいのかわからない」という方がいたので、驚いた。釜ヶ崎に何年もいるわけだし、それだけ「ドヤに泊まる」ということから遠ざかってしまっているということだ。

 そんなことは釜ヶ崎ではあたりまえといえばあたりまえのことだが、もう一つのあたりまえの発見があった。採用面接の時、酒気帯びらしき人はいなかった。また働くときも酒気帯びの人はいない。ところが採用の結果を訊きに来るとき、それから働く間の宿の相談のとき、8割がたの人が酒気帯びだったということに、改めて驚いた。訊きに来る方は一回のことだからいいが、受け付ける方は連続になるので、臭いだけで酔いそうである。

 もちろん釜ヶ崎はアルコール依存症の問題が集中する地域であることは分かっているのだが、仕事のことで業者と話をするってときにひっかけてくるのは、どうか?釜ヶ崎はまぁそんなものなのだが、改めてアルコールの問題、孤立の問題の重さをひしと感じた。

 うまくいけば、短期間とはいえ、一日40人規模での仕事の機会の拡大である。がぜん力が入ろうというものである。働きあいのまちをつくることをめざす釜ヶ崎支援機構らしい運動の創り方/受託事業のこなしかただ。そうでなければ、設備の整った新シェルターで行われるはずだった越年時対策が、工事入札不調で、古い今宮シェルターしかなく、越年時用の乾燥機を宿泊者が使用するとたびたびブレーカーが落ちるような状態であるので、気が滅入っていたにちがいない。

 そもそもシェルターはあいりん総合センター1階の夜間開放や野営闘争の自主管理からスタートしたものだし、開設後も野宿している人からスタッフを募っていた。ある意味もともとの精神に立ち返ったともいえる。

 29日、宿泊者の受入がはじまった。宿泊者から採用されたスタッフに「おお、なにしてんねん」と声がかかる。スタッフは、照れと矜持と半々の雰囲気。休憩でタバコを喫ったり、弁当を食べたりするのも一緒の場所だ。

 はじめてで準備期間の足らない地域内での臨時宿泊所開設と施設の不備とで不満が累積する可能性もあったが、今のところそうしたようすは見られない。むしろ和やかなかんじである。「仲間の手で」というのが活きたと思う。 

 短期間とはいえ収入アップにつながる採用されたスタッフはこれを機会にいろいろなつながりや考えをそれぞれ見つけていってくれればいいと思う。やっぱり働いている時はイキイキとする。初めてのことに取り組むときは不安に思いながらもいろいろ工夫する。ちょうどいい按配にそうした経験が人生の中では続いていくべきだし、それを支える、また支える仕組みを作ることがわたしたちの仕事なのだと思う。

 「健康で文化的な最低限の生活」というものがあるらしいが、健康は「病気でない」状態を言うのではないだろうし、文化というのはますます意味がわからないが、おそらく国を構成する人の活動の総体をいうのであろうから、人の知恵の進歩とその共有の状況からいって、酸いも甘いも行動に伴う不確定さ(スリル)を抜いてしまってはいけないだろう。

 さて、今回の釜ヶ崎地域内での臨時宿泊所運営で、1日40人のホームレス状態の方、生活困窮状態の方の仕事づくりに結びつくことができたのだが、さらに想像してみよう。年末年始臨時宿泊所を使用する方は当面500人を超えることはないと思うが、この500人のために仮に仕事出しをして一日あたり社会的就労と同じ賃金5,700円を支払うとともに、簡易宿泊所にお願いして給料から天引きなどで、泊まる所を確保したとすると

 5,700円×500人×7日=19,950,000円

 仕事出しの監督さんの人件費や物件費はもちろんかかるだろうが、3,000万円を超えることはないだろう。この費用をどうみるか?

 もちろん働くことができない状態の方や依存症の治療が優先される方などは別に、しっかりケアされる対策がいるけれど、南港で何億円も費やしていたことと比べれば、仕事出し方式の方が地域も活性化するし、わざわざ臨時宿泊所を開設するよりいいんじゃないだろうか。 

 通年となるといろいろ問題もあるだろうが、期間限定ならありじゃないだろうか。

 ホームレス支援に関しては、ユニークな取り組みもしてきた大阪府・大阪市のモデル事業でどうでしょう?

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