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援助職のホウレンソウ。

報告・連絡・相談とは、勤めを始めるとすぐに教わる仕事の基本ですね。
 
数年前サラリーマンをしていた時、私は上司からこのホウレンソウについて「ドリブルが多くてパスが少ない」と注意されていました。情報を抱えてしまってオープンにしないためチームでの対応が遅れて結果会社に不利益をもたらしているという指摘でした。

そこで、行動を変えるよう努め、何かの情報が来たら、自分なりの考えや作戦があっても、情報の共有を優先するようになりました。

法人にもいろいろあるもので、転職すると、ホウレンソウが疎まれるところもあったりするからなかなか難しいですね。

私の転職の経験では、正確にいうとホウレンソウが疎まれているのではないのですが、必要とされるホウレンソウの基準がはっきりしない。上席の者が、ある時はホウレンソウをうっとうしがり「そんなことは部門に任せている」と言うかと思うと、ほぼ同質の問題でも細かな報告を求めてきたりします。部門内で重要な事案であると考えて相談を持ちかけても、初めから嫌そうな態度で話の内容を聞いてくれないなんてことも。そんな上司が「連携を強める」と会議の時に常套句を言っているのを聞くと、そろそろ次を考えた方がいいかな…と思うわけです(笑)。

閑話休題。

援助職にとって情報の共有は仕事においてたいへん大事な部分を占めていますが、この頃、情報の共有の仕方について少し気付いたことがありましたので、記しておきます。

自傷行為や自殺企図がある場合、至急とりかからなければならないのは、その人を支える社会資源を調整して、できるだけ多くの方や組織に関わってもらい、チームとして取り組むことです。いったんチームができあがるとそれを構成しているもの同士で頻繁な連絡が行われるようになります。

トラブルが起こった時、当事者も含めて連絡は密になっていくわけですが、トラブルの全体像を捉えることができたと思えるようになるまでには、一定の時間をかけて、チームを構成する方から情報をとっていかないといけません。迅速な対応がいる局面でも、あとからあとから新しい情報が上がってくるということがあります。

まぁ、集団や社会というものはそういうものなわけですけれど、人を相手にして、そこに生命の問題や、関係が活きるか衰えるかという問題があるときには、できるだけ早く自分なりの全体像を描きたいと思うのではないでしょうか。

これをある意味阻むのが、私も含めて、「もしや今回のトラブルに至った原因のひとつが自分のした対応ではないか」と心のどこかで考えているため、無意識に、あるいは半ば意識しながら、当事者とのやりとりの一部を除外した情報を共有しようとすることです。

もう1つ。チームというのは協力と信頼関係があってなりたちますが、意欲ある援助職であるほど、相互にライバルでもあるということです。つまり、ホウレンソウをしているときに相手が自分の応対よりも優れて見える考え方や方法をとっていたり、おもしろい社会資源とのつながりを持っていたりすると、自分がとった不十分な対応や貧弱なつながりを、ぼやかしてしまうということがあります。

もしもチームに参加している人の相当数が少しずつそのように情報を公開しないとすると、支援の仕方の適切さが、ツボに入らなくなっていくリスクがでてきますね。

また、この前、ひとつ気付いたことがありました。

援助職なら医師の意見をうかがいにいくことがあると思います。医師の意見を聞いて、職場にかえって、情報を同僚と共有するわけですが、その際、「先生はAと言っていたよ」と伝えるのではないでしょうか。

忙しい現場では、「先生の意見はA」で動いていくわけですが、実際には、この判断には隠れたメッセージがあります。すなわち医師に援助職が、「私はAではないかと思いますが、先生いかがでしょうか」と問うた答えとして「Aでいいと思うよ」と医師が言ったという過程が隠れています。

通常援助職の方と医師の方の意見が異なった場合は、「私はBと先生に伝えたけれど、先生はAと言われた」という風に情報を共有するのではないかと思います。「私はBだったが、先生はA」という情報にはほぼ隠されたものがありません。

「私はAと言ったところ、先生はAでいこうと言われた」ならば、もし、「私がCと言ったら、先生はD、場合によってはEもありかなとおっしゃられた」ということもありえるわけです。

「A」ということを伝えるのではなく「A→A」ということを伝えると、それ以外の可能性について開かれた情報の共有がはじまります。

ここには大切な問題があります。同僚であるスタッフが「A」と同じ意見ではなく、異なる意見もしくは「A´」の意見をもっていた場合、医師から「A」という答えをもらったのは医師の意見を訊きにいったスタッフの情報の操作また誘導の結果ではないかという推測を可能にしてしまうということです。

チームを組んでいても権威や責任には偏りがあるわけですから、より権威と責任のある存在を借りて自分の意見を正当化することが、あまり意識されず行われてしまうと、次第に連携に罅が入って行くのではないでしょうか。

情報の共有について2点あげましたが、私の考えは、支援をするチームを作る時、あるいは、当事者を含めて生活と社会関係を安定させていくためのユニットを作った時には、内在している権威や責任の変化についての情報を指標的なものであれオープンにする努力をしていかないといけないということです。

当事者に対する援助職の共依存を防ぐため、チームで事に当たるのがのぞましいということがよく言われますが、当事者と支援者という1対1関係で捉えるだけでなく、ユニット全体の動きを話し合えるように常に情報の開示を進めることが重要ではないでしょうか。

ユニットに関わる人それぞれを「人として大切にする」ということ(場に働く考え方の基準を一元化する)と、それぞれが持っている弱さも含めて心と気持ちの動きを開かれたものにすることから、始めていきたいものですね。


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