- 2024/05/02
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ホームレス問題を中心に社会問題をとりあげています
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釜ヶ崎の仲間のみなさん
この4月から生活困窮者自立支援法が施行されます。この法律は、国を動かしている人たちの考えでは、生活保護を抑制するための法律です。
以前は、貯金が少しあると、それを使ってから生活保護の申請に来てくださいという対応がありましたが、これからは生活困窮者自立支援法に基づいて、別の相談窓口に誘導されます。そこで就職の相談や債務の相談をして、生活できるようにしようというわけです。またアパートを失いそうだったら、期限付きで給付をしようというわけです。
すぐにわかることですが、野宿状態だとこうした想定の枠からは外れてしまいます。貯金がある人など、まずいないし、月収がまったくない場合から、1万とか3万とか、生活保護以下の暮らしをしているからです。またアパートのための給付だって2年以内の離職票を準備しないといけないとか、制度にのれないようにされてしまっています。
まず私たちは、国に対して、はっきりと言っていかなければなりません。
緊急を要する課題は、「野宿のまま暮らさないといけない状態を変える」ことなのだと。
生活保護に進む決断をする仲間にはその入口を、もっと入りやすくすべきです。生活保護をまだ望まない仲間たちは、団結して、野宿しなくて良い、仕事出しを求めていきましょう。
特別清掃事業は、寄り場から、また建設現場から、排除される55歳以上の高齢日雇労働者対策として始まりました。始まりから20年経って、平均年齢はぐっとあがり今64歳から65歳に達しようとしています。求人の減少やゼネコンの年齢制限ということだけではなく、実際に軽作業を求める方が増えています。
65歳前後という年齢であって、自立支援センターから常用就職をめざすわけにもいきません。まして野宿状態からハローワークで一般の就職をして、食えるようになるということは、まずないでしょう。
こういう話をすると、世の中で心の持ち主からは、「なぜ生活保護を受けないのでしょうか?もっと受けやすい社会にすべきですね。情報が知らされていないのでしょうか」という良い意見がでます。
しかしこの問題は、もう少し突っ込んで考えてみる必要があるでしょう。
生活保護受給している方に対するバッシングの問題があります。このバッシングが生活保護を受ける際に肩身の狭さや申し訳なさを感じるひとつの原因となっています。
この生活保護バッシングについては、ただ啓発をすれば沈静化するというものではないでしょう。
現在、アベノミクスをはじめ、世界はマネーゲーム資本主義によっておおわれてしまいました。
外国為替取引や先物取引とかのデリバティブで、年間1300兆ドルが動いています。対して、モノやサービスの貿易額は10兆ドルぐらい。100倍ぐらいの差があります。「投機マネーが世界をまるごと賭博場に変えている」わけです。
モノやサービスで動く実体的な経済の中で私たちは仕事にありつくことができます。しかし、現在のマネーゲーム資本主義の中では、モノづくりやサービス業というものの比重がどんどん下がっています。人がいらない社会構造になっていっています。
生活保護受給者への就労支援の結果を大阪市の場合でみますと、稼働層が就労支援を受けると6割以上の方が就職先を見つけることができるそうです。けれどもそこから自立できる人は数パーセントしかいません。つまり、仕事はさせるけれども、食べさせるだけ・生活させるだけの十分な仕事と収入とを与えないそうした社会になっているということです。
格差が広がる中で、より下層へ落とされないようにしようとすれば、この国の中間層の人々はなにがしかの貯金や財産を、投資に回していかなければなりませんし、そうした社会になっていることを国の実権を握っている人たちは、機会をつかんではアピールしているわけです。
急に身近な話題になりますが、投資というのはギャンブルといっしょですね。ギャンブルと言うのは国がやろうと民間がやろうと胴元がもうかるようになっているわけです。まぁ、これはギャンブルという仕組みにのる以上いたしかたない部分があるわけです。安倍政権を通り越して、総元締めの米国に金が集中していきます。単純に集中するといっても、それは一般の人々から投資の名目でまきあげた、といって語弊があればかき集めた金が混じっているわけです。
この国の中間層からしたら、ずっと賭博場の中で暮らすようなものですから、たいへん不安です。また損をするものもでてきて、不満が鬱積しています。
しかし投資というものは、自己責任ですから、お上に非難をもっていくことができません。不安や不満のはけ口は下へ向かいます。「なんだあいつら将来へのリスクも背負わず、国に食わせてもらってお気楽な身分じゃないか」と思うのは世界の動向を掘り下げて考えていなければ、不思議なことではありませんし、よもやお上の方に不満を向けられては困るので、そうした考え方をあおり、バッシングをするように、今のマネーゲームをあおる人々は、かたくなな信念として持っているわけですね。そうした中在特会などの動きもあって不当な差別やバッシングで苦しめられている在日朝鮮人・在日韓国人の方などと共通の立場に生活保護を受けている仲間は、おかれていると思います。
まして野宿状態であれば、格好の標的になります。「働くのがイヤで、好きで野宿しているんでしょう」という実際とかけ離れた考えが通ってしまっています。先の生活困窮者自立支援法には野宿状態にある人をきちんと応援するとは一言もかかれていません。そしてホームレス自立支援法では不十分ながらも人権への配慮等が言われていましたが、ホームレス自立支援法を生活困窮者自立支援法に吸収させようとする国の動きは、今まで進んできた対策を明らかに後退させるものです。
「働くのがイヤで、好きで野宿している」という嘘に対してははっきりとノー、それは違うと言っていきましょう。路上にいても、年をとっていても、「働いてこの社会の一員として、静かに、しかし、がんばって生きていきたいと思っている、けれどもその思いを支える仕組みがない」そのことを訴えていきましょう。
話の中で、ファシズム批判みたいなことも少し言いましたが、私自身は、敗戦前の日本のような社会に今ストレートに戻ろうとしていると考えているわけではありません。なぜならば、「戦争はいやだ、平和をのぞむ」と思っている私たちよりも、冴えた政治家や官僚たちは、たぶん、過去の歴史を踏まえた上で、もっと上手にやろうとしていると思います。だって米国がこの国の頭を押さえているんだから、中国との関係もあり、米国はそうそう日本に東アジアで簡単に戦争をさせたりはしない。むしろ、これからの将来、幻影としてしか存在しないが、豊かな暮らしがどこかにあるという夢を追わせて、武器を輸出し、世界各地の戦争に参加し、大企業だけが儲けて、上手に人減らししていく、そうした国に日本は舵を切ろうとしていると思います。
昭和の恐慌があけて、昭和30年代40年代には、釜ヶ崎には西成労働至誠団といういわゆる自由労働者の奉仕団というものがあったそうです。日雇労働者も翼賛体制に組み込まれていったわけですが、稼働層が兵士として取られていくなかで働き手が不足し、賃金はあがっていったそうです。
これから戦争のため人手不足となり賃金上がるということが起こるとは考えにくいです。朝鮮戦争やベトナム戦争でも仲士の人手不足となりましたが、そうしたことは起こらないでしょう。機械化が進み、人手はいらなくなっています。スピード化が進み省力化されていくなかで、どんどんと人の仕事がなくなっています。それで発達障害を持つ場合など働く環境から弾き出されてしまう人のことが福祉の問題として言われるようになっているわけです。
そうした現在の社会構造の中では、わたしたちは、つまるところ捨てられる人々、棄民とならざるをえません。
生活保護や働ける仕組みなど、金儲けの邪魔になるものには、なるべくお金を使わないように、このままでは進んでいくからです。
釜の仲間たち!つながりあい結びあい団結して、今、野宿-野垂れ死にを強いる制度や社会の仕組みをかえる活動をしていきましょう。
仲間は、貧しいかもしれない、家族とのつながりが薄く孤独かもしれない、しかし釜ヶ崎には生きがいをもってからだが動くうちは働いて暮らせる野宿しなくてよい仕組みがあり、仲間の支え合いがあり、平和がある、そうしたことが言える釜ヶ崎に、このまちに、かえていくことができるよう、ともに進みましょう。
ありがとうございました。
1975年から大阪湾縁の南港を中心に宿泊所を建てて実施されていた大阪市の越年対策事業が、今年から釜ヶ崎の地域内3箇所(自彊館本館、三徳寮、今宮シェルター)、港区の第二港晴寮に分かれて行われている。
釜ヶ崎支援機構は、今宮シェルターの運営を行うことになった。
はじめての試みをどのように乗りきるか。今までは一日ずつの宿泊を夜間だけ受け入れるシェルターしか動かしたことはない。24時間となって果たしてうまくいくのだろうか。
200人が食事をとるから食堂がいる、ベッドだけではなくくつろげる場所(娯楽室)も必要だ。宿泊棟からベッドを取りはらって、テーブルをおいたり、畳を敷いたりとたいへんである。
そして、3交代だから通常のスタッフに加えて、一日あたり40人を雇い入れないといけない。はたして年の瀬のだれもが休みたい時期に人が集まるだろうか?
不安に押しつぶされそうになるときほど、よいアイデアが浮かぶものだ。
そうだ、特別清掃(ホームレス状態の方のために大阪府・大阪市が実施している社会的就労)の登録者やシェルターに泊まっている方の中から、スタッフを募ればいい。なんでこんなあたりまえのことにきづかなかったのか!(ズバリ、支援者の位置に安住していたのでしょう…)
仕事がかたく、人との関係の取り方をうまくこなせる人を、特別清掃スタッフが推薦する形で採用していった。
年金や仕事などをやりくりして簡易宿泊所やアパートを維持している人もいるが、多くの人が普段はシェルター暮らしや野宿生活。当然のこと年越しの宿代を工夫できない場合もあるので、いっしょに安い宿を探し、貸付を行った。
たいていの方は、「仕事がある時はたまに使ってるとこやねん」、「昔はよう泊まってたんやけど」など行き先があるのだが、けっこう「どこを探したらいいのかわからない」という方がいたので、驚いた。釜ヶ崎に何年もいるわけだし、それだけ「ドヤに泊まる」ということから遠ざかってしまっているということだ。
そんなことは釜ヶ崎ではあたりまえといえばあたりまえのことだが、もう一つのあたりまえの発見があった。採用面接の時、酒気帯びらしき人はいなかった。また働くときも酒気帯びの人はいない。ところが採用の結果を訊きに来るとき、それから働く間の宿の相談のとき、8割がたの人が酒気帯びだったということに、改めて驚いた。訊きに来る方は一回のことだからいいが、受け付ける方は連続になるので、臭いだけで酔いそうである。
もちろん釜ヶ崎はアルコール依存症の問題が集中する地域であることは分かっているのだが、仕事のことで業者と話をするってときにひっかけてくるのは、どうか?釜ヶ崎はまぁそんなものなのだが、改めてアルコールの問題、孤立の問題の重さをひしと感じた。
うまくいけば、短期間とはいえ、一日40人規模での仕事の機会の拡大である。がぜん力が入ろうというものである。働きあいのまちをつくることをめざす釜ヶ崎支援機構らしい運動の創り方/受託事業のこなしかただ。そうでなければ、設備の整った新シェルターで行われるはずだった越年時対策が、工事入札不調で、古い今宮シェルターしかなく、越年時用の乾燥機を宿泊者が使用するとたびたびブレーカーが落ちるような状態であるので、気が滅入っていたにちがいない。
そもそもシェルターはあいりん総合センター1階の夜間開放や野営闘争の自主管理からスタートしたものだし、開設後も野宿している人からスタッフを募っていた。ある意味もともとの精神に立ち返ったともいえる。
29日、宿泊者の受入がはじまった。宿泊者から採用されたスタッフに「おお、なにしてんねん」と声がかかる。スタッフは、照れと矜持と半々の雰囲気。休憩でタバコを喫ったり、弁当を食べたりするのも一緒の場所だ。
はじめてで準備期間の足らない地域内での臨時宿泊所開設と施設の不備とで不満が累積する可能性もあったが、今のところそうしたようすは見られない。むしろ和やかなかんじである。「仲間の手で」というのが活きたと思う。
短期間とはいえ収入アップにつながる採用されたスタッフはこれを機会にいろいろなつながりや考えをそれぞれ見つけていってくれればいいと思う。やっぱり働いている時はイキイキとする。初めてのことに取り組むときは不安に思いながらもいろいろ工夫する。ちょうどいい按配にそうした経験が人生の中では続いていくべきだし、それを支える、また支える仕組みを作ることがわたしたちの仕事なのだと思う。
「健康で文化的な最低限の生活」というものがあるらしいが、健康は「病気でない」状態を言うのではないだろうし、文化というのはますます意味がわからないが、おそらく国を構成する人の活動の総体をいうのであろうから、人の知恵の進歩とその共有の状況からいって、酸いも甘いも行動に伴う不確定さ(スリル)を抜いてしまってはいけないだろう。
さて、今回の釜ヶ崎地域内での臨時宿泊所運営で、1日40人のホームレス状態の方、生活困窮状態の方の仕事づくりに結びつくことができたのだが、さらに想像してみよう。年末年始臨時宿泊所を使用する方は当面500人を超えることはないと思うが、この500人のために仮に仕事出しをして一日あたり社会的就労と同じ賃金5,700円を支払うとともに、簡易宿泊所にお願いして給料から天引きなどで、泊まる所を確保したとすると
5,700円×500人×7日=19,950,000円
仕事出しの監督さんの人件費や物件費はもちろんかかるだろうが、3,000万円を超えることはないだろう。この費用をどうみるか?
もちろん働くことができない状態の方や依存症の治療が優先される方などは別に、しっかりケアされる対策がいるけれど、南港で何億円も費やしていたことと比べれば、仕事出し方式の方が地域も活性化するし、わざわざ臨時宿泊所を開設するよりいいんじゃないだろうか。
通年となるといろいろ問題もあるだろうが、期間限定ならありじゃないだろうか。
ホームレス支援に関しては、ユニークな取り組みもしてきた大阪府・大阪市のモデル事業でどうでしょう?
釜ヶ崎の仲間のみなさん
43回目になりました釜ヶ崎の夏祭り、43年前に30歳で、これから働き盛りだったという人が、今73歳ということで、これはなかなか、たいへんなことですね。
人生50年というふうに言われた時代もありました。50年では、こどもの時期もありますので、なかなか歴史の大きな動きというものを知ることは難しかった。途中で死にますのでね。今は運が良くて、アルコールでからだを傷つけたりしていなければ、釜ヶ崎でもかなりの方が、60歳を越えて生きていきます。それでも釜ヶ崎の平均寿命は他地域よりもずっと下回っているのですが。
43年前といえば、1972年で、ちょうど大阪で万国博覧会があったあとです。農村や炭鉱の過剰な人口、つまり仕事がないということを、都市のインフラ整備に労働者として集めることで、解決しようとした時代でした。
今万博公園に行きますと、万博のパビリオンや遊具は綺麗に取り払われて、「芸術は爆発だ」の岡本太郎がむりやり作った太陽の塔しか残っていません。あの塔は80年代90年代「大阪の恥だ」「とりこわせ」ということで、ずいぶんバッシングを受けたそうですが、今は名物といいますか、文化遺産のような扱いを受けています。太陽の塔と同じですが、この釜ヶ崎夏祭りも、機動隊にどつかれたり弾圧されたり、左翼のはねあがりみたいな扱いを受けながら、いつか無くなるだろうと想定されながら、ずっと続いてきました。これは掛け値なしにすごいことですね。
どうして続いたか、それはこの釜ヶ崎で、釜ヶ崎の仲間たちと共にいっしょに作ってきたからです。釜ヶ崎で実は一番多数を占めている日雇の仲間、そして現場の仕事を続けられなくなって、野宿せざるをえなくなった仲間、時に石を投げたり、行政の前で座り込みをしたりするけれど、たいていは黙々と働いてきて、自分の人生の苦しみを静かに引き受けている無縁の仲間と共にあり、共に作って来たからだと思います。
そして、もうひとつ続いた理由の大きなものは、祭りにかける仲間の思いを地域に伝え、いっしょにこのまちをつくりましょうと呼びかけてきたこと、そして、釜ヶ崎の外から来る人たちを排除せず積極的に受け入れてきたことでした。
太陽の塔は芸術家1人がこさえたものですが、釜ヶ崎夏祭りは、みなさんの手で担われて同じように無比の輝きを放っていますので、その価値は100倍ぐらいあると思います。
第1回のスローガンといいますか、テーマは「まつろわぬもの、みずからまつらむ」という文語体のかっこいいものでした。「まつろわぬ」にはいろいろな意味が込められていたでしょう。おかみのいうことにただ流されることはしないという意味もありましたし、地縁、社縁、家族のきずなから離れて、単身者として生きていく、いろいろな事情や苦しさがある中で自分を認めていく、そのような意味が込められていたと思います。そして、「みずからまつらむ」とは、そうした無縁の単身の仲間たちがあつまって、まつりをつくろう、運動をし、独自のつながりをつくり、このまちを作っていこうということだったと思います。
今、釜ヶ崎のまちは本当に高齢化が進んできています。生活保護を受けるべきか、受けないでいるか、の選択は非常に大きな問題です。上からホームレス対策を考えている人たちは、「生活保護をみんな受けたらホームレスの問題は解決するやろ」という風に考えます。実状を知らない人たちは、「生活保護を受けるのはいい身分だ」「生活保護は怠けている」と外から批判します。
ある特掃の労働者は、生活保護を受けるということを「身ぐるみはがされる」と表現していました。扶養照会ということで、親族に連絡が行ってしまう、ごく親密な友人同士でもあまり言わないことをケースワーカーとは話さないといけない、など単身の働き人としての気持ちと折り合いをつけることは、とても難しいことです。
そして、親族と連絡が通じたからといって、じゃあ最後に骨を引き取ってくれるのかというとそうともかぎりません。やっぱり無縁の世界に押し戻されてしまう。それは2重に悲しいことだと思います。
生活保護になっても、アルミ缶集めに行く、特掃に行くなど、日中することがなくなって、ハリを失ってしまい、かえって命を短くしてしまうということもあります。
それでは、ホームレスでいいかというとそんなことはありません。ホームレス状態でも苦しい、生活保護になっても苦しい、出口のない苦しさがこのまちを覆っているということがあります。
考えてみますと、そうした出口のない苦しさは、国が作った制度の融通のなさが原因となって生じてきているものです。ホームレス状態か、生活保護かという二者択一しかないということが問題です。
来年の春から、生活困窮者自立支援法という法律が施行されます。この法律は生活保護一歩手前の生活が苦しい人を対象にしていて、今お話しした二者択一よりもはるか高い、手をのばしても手の届かないところで、実施される施策です。
そこで、私たちが言うのは、93年から反失連が言っていた「仕事と生活の保障制度をつくる」ということです。たとえば生活困窮者自立支援法には住宅確保給付金という制度が作られますが、これには「2年以内の離職票を持ってきて」とかいろいろな縛りが多い。そこを外してもらう。今巡回相談という仕組みがありますけど、路上や公園やシェルターでがんばっている仲間であれば、巡回相談員が支援必要と認めて、住宅に入れるようにしてほしい。また、年金があるとか、アルミ缶をどのくらい集められているとかその人の状況に柔軟に対応する形で生活費を稼げる仕事を出してほしい、ということを言っています。
自立支援センターに入る場合は、親族に照会がいくこともありませんが、自立支援センターだけでも足らない部分があります。何回も自立支援センターを利用している40代、50代の仲間もおりますし、65歳前後から自立支援センターに行くのかということもあるわけです。
もし、そんなことは生活困窮者自立支援法では、できないということなら、今あるホームレスの自立の支援等に関する特別措置法の施策を拡充して、自立支援センター以外の社会的就労の仕組みやアパートに入れる仕組みを作っていくべきだと言っています。
高齢化が進んでいるから、あと5年か10年釜ヶ崎への対策はこのままにしておこうと、もし施策を作ることができる人、政治に携わる力のある人が考えるなら、それは下の下の策だろうと思います。また、昔から言われている「野宿-野垂れ死に攻撃」の最終形態とも言えると思います。
それから、50代40代の比較的若い世代に対しては、生活給付きの訓練を日雇労働者が受けやすい形で実施していく必要があると思います。労働福祉センターやハローワークではいろいろな訓練があるけれど、飯場から出てきたり、シェルター暮らしだったりでは、なかなか技術向上に向かって進めません。片や建設業界では震災の復興や東京オリンピックのために技能者が不足しているといいます。このあたりは、ハローワークのマッチングということだけでなく、国がしっかりと労働政策で踏み込んでこなければならないと思います。
そういう国が作る制度上の課題がたくさんある中で、西成特区構想が取り組まれています。ぜひ、西成特区構想に係ることができる方、区長を始めとして、行政の方々は、大阪市内の発想でできることをするのではなく、西成から釜ヶ崎から見えるこの国の問題をがんがんと国に訴えていただきたいと思います。
釜ヶ崎で、この地域で、黙々と静かに自分の境遇を引き受けている仲間たちを大切にしなければ、特区構想は単なる開発のための地ならしで終わることになるでしょう。
「あいりん地域を官庁街に」という話もあるようです。どんな官庁がくるのか、知りませんが、今まではバスを使ったりテントを建てたりして、座り込みをしていましたので、今度は近くなるなぁなんて思ったりします。どちらにしても、どんな世の中になろうとも、団結して釜の仲間の声を国へ、社会へ、世界へ伝える行動をしていきましょう。
先ほど無縁ということを言いましたが、無縁ということは一期一会ということと同じです。今日の出会いを大事に、今この祭りで出会い、つながったことを大切に。いっしょに楽しみましょう。
ありがとうございました。